衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年07月19日    金曜日     第1開示 合計1700開示

大乗顕識経(四七)

原文:仏は言われた:賢護よ、譬えば烏麻がある。薝葡花で薫じたものは、その油は香り良く美しい。これを薝葡油と名づける。一般の麻油とは良し悪しが格段に異なる。油は元々香りがないが、花で薫じた種を用いることで、油は遂に香りを持つようになる。香りは麻を破って入ることもなく、また麻を破って出ることもない。また形や質を留めて油の中に止まることもない。ただ因縁の力の故に、香りが油の中に移り、油は香り豊かなものとなる。鶏や鵞鳥の阿頼耶識が卵の中に入り出るのも、またこの如くである。薝葡の香りが油の中に移るように。

釈:仏は言われた、賢護よ、譬えば烏麻を薝葡花で薫じ、その後で油を搾ると、その油は香り良く美しくなる。この油を薝葡香油と名づけるが、これは一般の普通の麻油とは良し悪しの差が非常に大きい。薝葡花で薫じれば、普通の油は非常に香り高く貴重なものとなる。花で薫じなければ、それは普通の麻油である。烏麻は油を搾り出すことができ、薝葡花は香気を持つ。薝葡花で烏麻を薫じると、搾り出された油は香気を持つようになる。本来は烏麻と呼ばれていたものが、この油で薫じられることで薝葡油へと変わる。油は元々香味を持たないが、花で薫じられることで、この油は香味を持つようになる。ではその香りはどのようにして油の中に入るのか。

仏は言われた、花香は烏麻を破開することなく、烏麻の中に入り込むのである。花香は烏麻を破壊したり貫通したりすることなく、烏麻から出てくる。香りは入ることも出ることもなく、烏麻を破壊することもない。香りは形や色を油の中に留めることもないが、搾り出された油には香りが宿る。これは丁度、阿頼耶識が卵の殻を開くことなく、卵殻の中に入ることもなく、また出てくることもないのに、阿頼耶識が鶏卵や鵞卵を執持するのと同じ理である。これは香りで烏麻を薫じるのと同じ道理である。

全ては様々な因縁が集まり合う力によって、このような殊なる変化が生じるのである。香りが油の中に移入し、油は香り豊かなものとなる。この因縁性によって、両者は和合し、互いに薫じ合うため、烏麻油は香味を持つ油へと変化する。香りが油の中へ移ると、油は香油となる。阿頼耶識が鶏卵や鵞卵に入り出るのも同様に因縁によるものである。因縁が具足すれば、阿頼耶識は鶏卵や鵞卵の中に入る。因縁が滅すれば、阿頼耶識は鶏卵や鵞卵から出てくる。

衆生が生まれる因縁が具足すれば、阿頼耶識は衆生の五陰身を変現することができる。因と縁があって、世間法における鶏卵と鵞卵は殻を破り、鶏や鵞鳥は孵化して出てくる。因縁が滅すれば、世間法における鶏卵と鵞卵は壊れ、その中には生命力がなくなり、阿頼耶識は自ら鶏卵と鵞卵を執持しなくなる。では鶏卵と鵞卵は阿頼耶識から独立して存在することはできず、生命のない卵は共業の衆生の阿頼耶識が共同で執持する。卵の中に生命がある時は、この卵の中の個別の阿頼耶識が単独でこの卵を執持するため、この卵は生命を持つのである。阿頼耶識が卵から出た後は、卵は共業衆生の阿頼耶識が共同で執持するものとなり、やはり唯識所変、唯心所現である。

——生如法師の開示
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大乗顕識経(四八)

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