悟りとは、意識と意根の両方が真理と事実を発見することである。真理は相分であり、発見することは見分であり、真理を発見することは自証分であって、証自証分ではない。
悟りを得られるかどうかは、意根本身の智慧と認識能力にかかっていると同時に、意根が無始劫以来どれほど邪見に深く染まっているかにもよるのであって、単に意識が証拠資料を収集し分析思考する能力によるものではない。
意根の貪る習気が現行する時は、必ず六識を通じて表れなければならず、意識は時に覚悟があって抵抗することもあるが、必ずしも抵抗できるとは限らず、意識は時に覚悟がなく抵抗しないこともある。
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