小乗の我見を断つとは、五蘊十八界の無常・空・苦・無我性を証知することであり、我は無常に等しく、空に等しく、苦に等しく、破るべきものである。ゆえにそれは壊滅しうるものである。壊滅しうるものは、真実相ではなく、真実ではない。
真実の真相には二つの意味がある。一つは世俗界における真理・事実を指し、もう一つは大乗の法において永遠に生滅しない第八識を指す。
小乗における我見を断つ修行では、第八識が不滅であり、五蘊十八界とは区別され、五蘊十八界の依り所であることを知れば十分である。観行思惟の重点は、五蘊十八界が世俗界の真理において壊滅敗壊する法であり、真実性を持たず、その真相は永続しない相と苦の相・空の相・破壊される相であることを認識することにある。
多くの人の思考は常に誤った認識に陥り抜け出せないが、それは何故か。一つは何らかの誤った導きによって先入観が生じたためであり、もう一つは論理的思考力が不足しているためである。思考力の不足は、定力の不足に関連し、前世の善根福徳に関わる。これは自らが少しずつ定慧と善根福徳を積み重ねる必要がある。前世である程度の修学の基盤が備わっていなければ、今生の修行は速く進まない。もし自らに強いて非常に速く悟ることを求め、様々な因縁条件がまだ成熟しておらず、自らの心性などが菩薩に似た状態へと転じていない状況で焦って第八識を参究し、五蘊無我すら破ろうとしないならば、自身の道業に害あって益なく、往々にして逆効果となる。
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