問:比較的似通った二つの色彩を見た後、眼識と意識ではまだ確認できず、自分がはっきり見えていないのではないかと疑い、もう一度見てはっきり区別しようと決める。この疑いと決断は、眼識の疑い決断なのか、意識の疑いと決断なのか、それとも意根の疑いと決断なのか? 交通の交差点で信号を見て、停車や発進を決めるのは、眼識の決断なのか、意識の決断なのか、それとも意根の決断なのか?
答:眼識と意識の識別活動は、意根が駆り立てなければ現れず、意根に支配され指揮されるものであり、意根が色塵を識別するための道具である。そうであるならば、意根は眼識と意識が識別した色塵を明らかにし、その後で選択し決断を下す必要があり、六識はさらに活動を進めることになる。二つの色彩を比較することは意根の決定と支配によるものであり、二つの識が識別した後で確認できなければ、意根も確認できず、意識が色彩に疑いを抱けば、意根も疑いを抱き、そこで意根は再び識別することを決断する。色彩を識別し区別することは、眼識の本分の役割ではあるが、眼識は単独で受け止め識別することはできず、必ず五倶意識と共に識別しなければならない。意識は色彩の濃淡の程度、色彩の名称と内包、見た目の快適さ、明るさなどの細かな相を識別できるが、眼識は色彩の粗い相を識別し、名称や明るさの程度、快適さなどは分からない。したがって、色彩に関する五塵については、意根も触れて識別できるが、ただ識別が明らかではなく、眼識と意識という二つの道具を借りる必要がある。
交通の交差点で信号を見ることも眼識と意識による識別であり、意根に支配され指揮される。意根は二つの識が識別したことを基に、自らの識別を行い、そこで停車や発進、左折や右折を決断する。これらの決断において、まずは意識の決断があり、意根に参謀として提供され、意根は自らの思量を働かせて決策を下し、必ずしも意識の意見や見解に完全に従うわけではない。
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