答:眼識と意識の了別活動は、意根に駆り立てられて初めて現れるものであり、意根に支配・指揮されるものであり、意根が色塵を了別するための道具である。そうである以上、意根は眼識と意識が了別した色塵を明らかに知った後、抉択を行い決定を下さなければならず、六識はさらなる活動を行うことになる。二つの色彩を比較することは意根が決定し支配することであり、二つの識が見分けた後、確認できなければ、意根も確認できない。意識が色彩について疑いを起こすと、意根も疑いを起こし、そこで意根は再び見分けることを決定する。色彩を了別し見分けることは、本来は眼識の本分の仕事であるが、眼識は単独では受け持って了別することができず、必ず五倶意識 (pañcavijñāna-sahagata-manovijñāna) とともに了別しなければならない。意識は色彩の濃淡の程度、色彩の名称と内包、見て心地よいかどうか、明るいかどうかなどの細相を了別することができ、眼識は色彩の粗相を了別するが、名称や明るさの程度、快適さなどは知らない。だから色彩に関する五塵についても、意根は触れて了別することができるが、ただ了別が明確でないので、眼識と意識という二つの道具を借りる必要がある。
交通の交差点で信号機を見るのもまた眼識と意識が了別するものであり、意根に支配され指揮される。意根は二つの識が了別した基礎の上に、自らの了別を行い、そこで停車するか発進するか、さらに左折するか右折するかを決定する。これらの決定の中で、まず意識の決定があり、それが意根に参考として供され、意根は自らの思量 (manasikāra/manana) を起こして意思決定を行うのであり、意識の意見や見解に完全に従うわけではない。
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