凡夫が縁に従うならば、毎日毎年毎生毎世、どのような縁が多く、どこまで随縁できるでしょうか。随縁不変、不変随縁は、第八識のみが完全に成し得ることです。地前の菩薩でさえ成し得ず、不変であることは不可能です。地後の菩薩、八地菩薩以前も完全には成し得ません。六七の識心がまだ熏染を受けている限り、不変で随縁することは不可能です。仏はどのような縁に従っても心は変わらず、それは六七の識が熏染を受けないからです。
外道の禅定はあれほど優れ、八万劫入定し煩悩を降伏させますが、煩悩を断除していないため、後世欲界に生まれ、依然として縁に従って貪瞋痴の煩悩業を造作し、再び悪業苦悩の中を流転します。阿羅漢は三界世俗の縁に熏染されることを恐れ、三界を避けて無余涅槃に入ります。凡夫の心は、縁に従うだけで必ず変わり、非常に頼りになりません。もし誰かが一切の望みを凡夫に依止するならば、必ず後悔するでしょう。
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