衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年07月31日    水曜日     第3開示 合計1743開示

仏陀に依止することこそ最も確かなのです

万法は皆空であり、物もまた空の中の法であり、全ては空です。様々な種類の車も皆空であり、空の車がこれほど多くの不思議な作用を持っていること、手も空であるのにこれほど多くの文字を打てること、確かに不思議です。ある人は如来蔵が打ったのだと言うでしょう。全ては如来蔵の妙用なのです。それならば、あなたは完全に大寝入りして、如来蔵にタイプをさせ、運転をさせれば良いのです。一日の仕事が全て如来蔵によってなされるなら、あなたは毎日大寝入りし、如来蔵に一日一日、一年一年、一世一世と働かせ続ければ良い。あなたが生まれ出る必要もありません。世俗諦を消滅させ、完全に聖義諦で置き換えることは、大きな過ちです。世俗諦を離れては、聖義諦は完全に無力で、何も為すことができず、どうしてこのようにあのようにできるでしょうか。

私たちが仏法を学ぶには、仏の説かれた法に従って修めなければなりません。仏は無上の智慧を持ち、全ての法を実修し、全てを証得して初めて真実となります。もし仏が、果を証得するにはこのように修めなければならないと言われるなら、私たちは仏の言葉に従い、必ずそのように修めなければなりません。自分で発明創造をしてはいけません。誰かの説法を正しいものとみなしてはいけません。仏陀に依止することが最も確かなのです。なぜなら仏陀には我執がなく、自我を顕わにせず、盲人が盲人を導くようなことはないからです。

真に仏法を学んで成就を求めようとするなら、手間を惜しんではならず、近道をしてはいけません。もし近道があるならば、仏陀は必ず私たちに教え、回り道をさせたり、ぐるぐる回らせたりはなさいません。仏陀を完全に信じること、これが仏法を学ぶ最も基本的な宗旨であり、信が先導となります。もし仏陀が信じられないなら、もはや信じるべき人はいません。等覚や妙覚でさえ信じるに足りず、ましてや普通の一般的な人々などなおさらです。もし誰かが説法し、それが仏陀と一致しないなら、私たちは選択をし、疑いなく仏陀を信じることを選ぶべきです。

近道をしようとする人々は皆、貪欲な心理、何かを求める心の状態を持っています。貪があると容易に魔に入り、魔に利用され、魔の眷属となり、次第に仏道から離れ、解脱できなくなります。自分を高め、自分を変え、自分を充実させ、自分を成熟させ、自分を完成させるという心構えで仏法を学び修行すれば、魔事から遠ざかり、着実に進むことができます。見た目は遅いようですが、実際には最も速い道なのです。性急に進み、無理に進もうとすれば、逆効果となり、願いとは反対の結果を招きます。

——生如法師の開示
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