衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月01日    木曜日     第1 回の開示 合計1745回の開示

六識の知と意根の知

妄心の知性には、六識の知と意根の知の二種があり、禅定の深浅によって知る時の専注と散乱に差があり、知の内容に深細広狭の違いが生じます。

見聞覚知の性は、識種子に心所法の機能作用が加わったものです。これらの作用は刹那に生滅変異するもので、水流の如きものです。無数の水滴が形成する水流は風力と慣性の作用により、急に速くなったり緩やかになったり、強くなったり弱くなったり、途切れたり続いたりします。識種子が形成する識心は心所法の作用により、その了別性が強弱・緩急・細粗を繰り返します。蛇口を閉めれば水滴は流れ出ず水流は消滅し、識種子が流注しなければ識心は消滅します。その開閉装置は何処にあるのでしょうか。

一切法を知る時、自らのこれらの知を反観すれば、それは意識の知か、それとも意根の知か。意識の知は知るに留まり、改めることができず、実行に移せません。意根の知は直ちに実行可能で、自らを改めることができます。仏法が意識の段階まで修められたとしても、それは百尺竿頭に過ぎず、更に一歩を進めて意根の境地に至らねばなりません。全ての法がこの境地に至れば、即座に仏となり、更に修する必要はなくなります。

——生如法師の開示
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