境界を知る「知」は想蘊であり、想蘊の対境は相分である。相分には色・声・香・味・触・法が含まれ、心法もこれに属す。心法は受・想・行・識を含み、すなわち心の運行する相状を指し、これが心所法である。例えば意識が八識を了別し、八識を知る場合、この時意識は見分であり、八識の運行する相貌が相分となる。
意識は八識の運行する相貌を了別でき、八識の心所法を弁別し得る。意根には証自証分が備わり、自らを反観して了別する。しかしこの能力は十分に強大ではなく、識が智に転じた後に初めて意根の智慧が増強され、証自証分の機能も幾分強大となる。意根は意識に依って八識の運行相貌を了別し得るが、その能力は未だ充分ではなく、識が智に転じて後、その了別性は次第に増大する。
識が智に転ずる以前においても、意根には多くの了別機能が存在する。ただ意識が未転依の状態では観察し得ず、故に一部の者は意根の了別慧が劣ると説く。衆生は意識の知るところを以て知と為し、意識の知らざるを以て存在せざると見做す。
十八界において眼識と眼根は色塵に対応し、耳識と耳根は声塵、鼻識と鼻根は香塵、舌識と舌根は味塵、身識と身根は触塵、意根と意識は法塵に対応する。前五根と五識の活動は意根の駆使と調制を受け、自ら主宰する能わず。
五蘊中の色蘊とは、十一色法:色・声・香・味・触・法、及び眼根・耳根・鼻根・舌根・身根を指す。
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