衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月02日    金曜日     第6開示 合計1753開示

識を智に転じた後、意識と意根の了別性はますます強まっていくでしょう

境界を知る知は想蘊であり、想蘊の対象は相分である。相分には色・声・香・味・触・法が含まれ、心法も含まれる。心法には受・想・行・識が含まれ、すなわち心の運行行相、これが心所法である。例えば意識が八識を了別すること、八識を知ること、この時意識は見分であり、八識の運行相貌は相分である。

意識は八識の運行行相を了別でき、八識の心所法を了別できる。意根には証自証分があり、自らを反観し、自らを了別することができる。しかしこの能力は十分に強くなく、識が智に転じて以後、意根の智慧が増強され、証自証分の機能はやや強くなる。意根は意識に依って八識の運行行相を了別できるが、その能力は十分に強くなく、識が智に転じて以後、その了別性は次第に増強していく。

識が智に転ずる以前、意根にも多くの了別機能があるが、ただ意識が識を智に転じていない時には観察できず、故にある者は意根の了別慧が劣っていると言う。衆生は皆、意識の知を以て知と為し、意識が知らないものは存在せず無いと考える。

十八界において眼識と眼根が対応するのは色塵、耳識と耳根が対応するのは声塵、鼻識と鼻根が対応するのは香塵、舌識と舌根が対応するのは味塵、身識と身根が対応するのは触塵、意根と意識が対応するのは法塵である。前五根と五識の活動は意根の駆使と調制を受け、自主性がない。

五蘊中の色蘊とは、すなわち十一色法:色・声・香・味・触・法、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根である。

——生如法師の開示
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