原文:あるいは人王となり、あるいは補佐の宰相となり、あるいは豪族として重んじられ、あるいは財産自由自在にし、あるいは諸々の長となり、あるいは大商人の主となり、あるいは天身を得て天の勝れた果報を受ける。識が福の資糧となり、身は楽報を得る。あの福徳が勝れているがゆえに、天神が憑依し、勝妙な花香や香ばしい飲食を得て、すなわち歓喜し、病める者は安穏となる。今、尊貴を得て、豪富自在となるは、当に知るべし、全て福徳が識を資糧とし、身は楽果を得るが故であると。
釈:仏は説かれた。福徳によって滋養された者は、楽しみの果報を得ると。あるいは国王・皇帝となり、あるいは丞相や高官となり、あるいは豪族貴族の家に生まれ、あるいは大富の長者として財産自由自在となり、あるいは大商人の主として富貴に栄え、あるいは天に昇って福を享け、天人となる。これらは全て阿頼耶識が福徳の業種を蔵していることによる。福徳の滋養があれば、阿頼耶識は福報の身を顕現し、楽報を享受するのである。あたかも福徳が勝れている者が、天神の憑依を受けて、その人と天神の果報が相応じるように。この人は勝妙な花香や香ばしい飲食を享受し、内心は格別に歓喜する。天神が憑依した者に病があれば、この時病は消える。なぜなら天人は天神は決して病むことがなく、この人に再び病を生じさせないからである。憑依された者は今、富貴自在の果報を得たが、当に知るべきである。これらは全て自らが過去に造った福徳の業が阿頼耶識を滋養した結果であり、今の五陰身に楽しみの果報を得させたのであると。
0
+1