賢護よ。富丹那などの下劣な悪鬼神に憑かれた者は、糞尿の汚れや腐敗した鼻水・唾などの不浄物を愛好する。これらをもって祭祀すれば、病苦は消え喜びが訪れる。その者は鬼神の力に従い、鬼神の欲するままに不浄を愛楽し、腐臭ある糞穢を貪る。罪業が識を養うのもまた同様である。或いは貧窮に生まれ、或いは餓鬼道に堕ち、あるいは諸々の臭穢を食らう畜生道へと、種々の悪趣に生を受ける。罪業が識を養うことによって、身は苦果を得るのである。
釈:仏は説かれた。賢護よ、もし人が富丹那などの下劣な悪鬼神に憑依されたならば、この衆生は汚穢ある場所、腐敗臭を放つ鼻水や唾のたまる場所を好み、鼻水や唾などの不浄物を愛好するようになる。もしこれらの不浄物をもって鬼神を祭祀すれば、この者の病苦は消失する。なぜなら鬼神は神通力で病を治し、この者に報いるからである。福徳の薄い悪鬼は、人の吐いた一口の唾さえ奪い合い、唾液は鬼神にとっては美食となり、鼻水もまた美食となる。糞尿の汚れにも福徳なき鬼が集い啖う。これらの福薄き鬼神は、生前に布施をせず、慳貪の性を抱いていたがゆえに、この果報を受けるのである。もし人が鬼神に支配されれば、鬼神がその身に望むままに行動し、鬼神が好むものを好むようになる。なぜならその心は鬼神に制御され、自らの意思を失うからである。衆生が罪業を造ると、その種子はアーラヤ識に蓄積され、アーラヤ識が顕現させる衆生はこのように低劣で卑賤な汚穢を好むようになる。この者が福徳を修めないため、アーラヤ識には福業がなく罪業のみが満ち、この衆生を貧窮の家に生まれさせたり、餓鬼道に堕ちて臭穢物を啖うようにさせたり、あるいは畜生道に生まれさせたりする(畜生もまたすべて汚れた飲食をとる)。これら三悪道に生を受けるのは、すべて罪業がアーラヤ識を養う結果であり、アーラヤ識がその五陰身にこのような罪苦の果報をもたらすのである。
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