修行者が重要な局面に達すると、障縁が現れるものですが、これは修行が実を結びつつある証左でございます。さらに修行を続ければ、障縁は次第に消え去ります。修行が未熟な段階では、通常障縁は現れません。故に逆境に遭っても自らを疑うことなく、勇猛精進すべきでございます。
修行の階梯はまず広く学び、後に専修に至るものでございます。広学のみに偏るならば、それは単なる意識の知識蓄積に過ぎず、解脱とは無縁でございます。参禅によって実証すべき時機が来たら、全ての経典を放下し専心すべきです。この段階で経典を重んじれば道を障げます。かつて禅宗の祖師方は、参禅中の弟子が経典を読むのを見れば制止し呵責しました。現代では弟子を戒める者もおらず、広学多聞を阻むことを恐れ、師匠への批判を懸念しております。八十歳に至るまで心が広学多聞に囚われている者もいますが、これも敢えて指摘せず、各自の生死は各自に委ねられております。現代人の最大の特徴は、知識学問を好みながら解脱を求めない点にございます。
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