衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年08月04日    日曜日     第3 回の開示 合計1766回の開示

広汎と専精の関係

修行者が重要な局面に達すると、障縁が現れるものですが、これは修行が実を結びつつある証左でございます。さらに修行を続ければ、障縁は次第に消え去ります。修行が未熟な段階では、通常障縁は現れません。故に逆境に遭っても自らを疑うことなく、勇猛精進すべきでございます。

修行の階梯はまず広く学び、後に専修に至るものでございます。広学のみに偏るならば、それは単なる意識の知識蓄積に過ぎず、解脱とは無縁でございます。参禅によって実証すべき時機が来たら、全ての経典を放下し専心すべきです。この段階で経典を重んじれば道を障げます。かつて禅宗の祖師方は、参禅中の弟子が経典を読むのを見れば制止し呵責しました。現代では弟子を戒める者もおらず、広学多聞を阻むことを恐れ、師匠への批判を懸念しております。八十歳に至るまで心が広学多聞に囚われている者もいますが、これも敢えて指摘せず、各自の生死は各自に委ねられております。現代人の最大の特徴は、知識学問を好みながら解脱を求めない点にございます。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

功徳と過失は相殺されません

次の記事 次の記事

意根が触発される様相

ページのトップへ戻る