衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月04日    日曜日     第5 回の開示 合計1768回の開示

なぜ目を閉じると精神を養うことができるのか

神とは、心識のことです。第一に眼識を指し、第二に意識を指し、第三に意根を指します。第八識は養う必要がなく、エネルギーを消耗せず、永遠に疲れません。

意根は疲れることがあるでしょうか。意根は無始劫以来、第八識と同様に一度も休息したことがありません。常に喜んで労を厭わないわけではありませんが、一切の法に執着し、心配しないことはありません。いつになったら心配することをやめるのでしょうか。

意根にも嫌気や疲労が生じる時があります。一貫して最初から最後まで持続することはできません。そのため意根も休息を必要とし、比較的楽しく愉快な事柄に注意力を移し、煩悩の種となる事柄には縁起しなくなります。縁起する事柄が多すぎて負担になるときは、一時的に放下することを知っています。

最も養う必要があるのは意識です。意識が活動する際には、特に脳細胞を中心に栄養物質を消耗するためです。物質的エネルギーが不足すると、意識は疲労を感じます。思考が多くなると意識の思考回路が追いつかなくなり、その時は休息を必要とし、了別・分別・弁別・思慮を停止します。

眼識は養う必要があるでしょうか。目で物を見る時間が長くなると、眼痛や視力低下、視界不良、頭重感などが生じます。しかしこれは眼識の問題ではなく、眼根が一つの対象に固定され続けることで神経疲労が生じるためです。眼根の物質的色法は身根の一部に属し、眼根に問題が生じることは身根の問題であり、疲労感や痛みは触覚として身識が弁別する内容です。

眼根が長時間物を見続けると、より多くのエネルギーを消耗します。意根と意識の注意力が一つの対象に集中すると、脳細胞を消耗し、疲労と倦怠を引き起こします。もし眼神経が常に緊張状態を保てるなら、眼識がどれほど長時間物を見ても問題ありません。

眼神経は肝経に通じ、長時間の視覚使用は肝経を疲労損傷させ、肝臓に問題を生じさせます。肝臓に問題が生じると、意識の思考了別に影響を及ぼします。色身は識心に影響を与え、識心もまた色身に影響を及ぼし、身心は相互に依存しています。

実際のところ識心自体に問題は永遠にありません。問題は身体の物質的エネルギーが十分に供給できるかどうかにあります。識心が正常に運行するためには、六塵が正常に現れ、脳細胞が正常に活動する必要があります。物質的色法の消耗が過剰であるか、供給が不足すると、識心の運行は影響を受け、正常な了別作用を発揮できなくなります。

目を閉じて精神を養うことは、神経系の活動を調節し、特に一方向への過度な強直的な活動を抑制することで、身体を損傷から守る方法と言えます。

——生如法師の開示
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