衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月05日    月曜日     第1開示 合計1770開示

理論的知識は証量に等しからず

観行の定力が不足している場合、解剖図を参考に色身が虚妄で無我であることを観行しても、いつまで観じても、解剖図はあくまで解剖図、あなたはあなたのままであり、何の効果もなく、単に人体解剖学の知識が増えるだけです。解剖学について滔々と語ったとしても、自らが身見を断つ智慧の証量を得ていることを意味しません。口で言うのは簡単ですが、定がなければ観行には至らず、単なる学習に過ぎません。止観双運、定慧等持こそが真の修行の出発点です。理論知識の学習と実際の観行は、修行における二つの異なる段階です。決して理論学習を観行と混同したり、暗記した知識を自らの智慧と見なしたりしてはなりません。

未到地定が不十分で、少しも禅定すらない者が、自ら我見を断ったとか初果や二果であるなどと主張するのは不可能です。心の奥底ではそのような確信は持てず、たとえ意識では確認できたように思えても、深層心理には疑いが残り、本当に確信することはできないのです。

——生如法師の開示
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いかにして想蘊の不実を観行するか

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禅定の功徳

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