衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月25日    木曜日     第2開示 合計948開示

《大乗顕識経》講義

仏は賢護を見て、全身より光明を放ち、賢護を照らし流す。賢護この時に、すなわち畏れなきを得て、仏を右繞すること三匝し、仏足を頂礼して仏に白して言う「唯願わくは世尊、哀愍して教授したまえ。我れ今まさに仏の所において浄信を得、心に妙法を希い、問わんと欲することがある。されど我れ久しく生死に処し、煩悩の苦に溺れ、乱念入り乱れて、戒等の業には無作冥の資なく。心に奇重なるも、我れ今この愚惑疑網の中において、いかにして超え出で、生死を度することを得んとするかを知らず。世尊はこれ一切智にして、普く一切を見たまう。仏の出現は甚だ難く、稀に遇うこと如意珠のごとし。衆生に楽を施す。仏は大如意宝なり。一切衆生は皆な仏に依るによりて大安楽を得る。これ大父母にして、衆生の善本なり。仏父母の因によりて正路を見ることを得る。唯願わくは哀愍して疑闇を開曉したまえ」と。

仏、賢護に告げたまう「汝に疑いあるところあり、汝の意のままに問え。我れまさに汝が為に分別し解説せん」と。爾の時、賢護、仏の聴許を蒙り、心を専らにして問いを請い、一面に住す。

釈:仏が賢護菩薩を見た後、全身より光明を放ち、賢護の身を照らした。仏が光明を放たれたのは目的があり、これは賢護が仏に法を請うよう励まし、賢護の心に畏れなからしめ、仏の前で問いを発し法を請うことができるようにするためである。彼が問題を提出した後、仏はこの因縁によって、殊勝な大法を開示演説することができる。仏がある法を説こうと思われても、誰も法を請う者がいなければ、因も縁もなく、仏は法を説くことができない。そこで世尊はわざとある者に示唆を与え、彼に疑念を生じさせ、さらに法を請わせ、問題を提出させる。仏は彼の提出した問題に基づいて、一部の仏法を開示し宣説されるのである。賢護は仏の加護を得て、右に仏を三度巡り、仏への恭敬尊重を表し、それから仏足を頂礼し、問いを発して法を請い始めた。

衆生の仏に対する信心には、清浄でないものもあれば、清浄なものもある。仏法を初めて学ぶ者は、仏に対する信は清浄ではない。どのように清浄でないのか?彼は仏を盲信し、仏に求めるものがあり、仏の功徳についてはまだ理解しておらず、仏の神力や大智慧、すべての徳行についても理解していない。そのため清浄な信心を生じることができず、心の中にはまだ多くの疑問があるので、浄信とは言わない。仏が全身より光明を放ち賢護を照らし流した後、賢護は仏法に対して浄信を生じ、心の中で仏が妙法を宣説されることを望み、仏法を問いたいと思った。

——生如法師の開示
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煩悩の障りが小さければ小さいほど、智慧は広大となります

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《大乗顕識経》講義

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