蚊が突然顔に止まり、無意識に顔を叩いてしまい、後で蚊が顔に止まっていたこと、自分が蚊を叩いていたことに気づく。自分で気づいていないことを、なぜ行うことができるのか? 誰が行ったのか?
蚊が顔に止まるのは非常に軽いもので、意識では通常気づけない。しかし気づけなくても、無意識に蚊を叩く。もちろんこれは完全に意根が指示したものである。これにより、どれほど微小な六塵の境であっても、意根が最初に識別できることがわかる。自身の安危に関わる塵境に対しては、即座に決断して処理するため、六識が生じて自身の危急を処理する。では意根は、意識の助けなしに識別・判断する場合でも、依然として重大な塵境と細かな塵境を区別でき、五陰身にとって有益か有害かを判別し、迅速に行動を起こすことができる。その智慧も決して低くはない。意根が境界を識別する際は意識を用いなくてもよいが、境界を処理する際には必ず意識が不可欠であり、意根は何事も単独で処理できず、意識の協力が必須である。したがって多くの場合、意識あるいは六識の身口意行は、まさに意根の思想と徳行の修養を体現し、意根の心行を表している。
意識と身識による蚊に刺された時の処理は、時には叩く、時にはかゆみをかく、時には撫でる、時には掻くなど、様々な動作が異なる。なぜ異なる動作を選択するのか? これらは全て意根が主体となって指揮し作り出したものであり、意根は触塵に対して判断力と選択力を有し、様々な状況の触塵を理解できる。したがって状況が異なれば選択も異なり、意識と身識の造作も異なるのである。
(注:以下の専門用語は日本語仏教用語に基づき厳密に訳出) - 意根:意根(いこん) - 六塵:六塵(ろくじん) - 六識:六識(ろくしき) - 五陰身:五陰身(ごおんしん) - 身口意行:身口意行(しんくいぎょう) - 心行:心行(しんぎょう) - 触塵:触塵(そくじん) - 造作:造作(ぞうさ)
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