いわゆる衆生を済度するとは、煩悩と業障が深重な衆生を一度に聖人にまで度すことだけを指すわけではありません。衆生の修行を相応の程度まで高め、以前と比べて大幅な向上が見られれば十分であり、一瞬で聖人になることは不可能です。苗を伸ばそうとして引っ張るような結果は、衆生を死に至らしめ三悪道へ堕とし、仏教を滅ぼすことになります。聖人となる因縁が熟していない時は、長期的な薫習を続け、聖人に近い品格に至って初めて凡夫を超越させることができるのです。功を焦って利を急いで人を度そうとすれば、ただ頭だけを聖人にしたとしても心は依然として凡夫のままであり、首と体が分かれるような結果に終わるのです。
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