衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月10日    土曜日     第6 回の開示 合計1805回の開示

衆生は救い尽くすことができるでしょうか

一つの如来蔵は一つの衆生に対応し、一つの衆生を生じるため、如来蔵はまた衆生界とも呼ばれます。般若心経において如来蔵は不生不滅であり、衆生界は不増不減であると説かれています。不増不減とは変異しないことを指し、不生不滅とは永遠に生じる必要も滅びることもないことを意味します。従って如来蔵の数は永遠に固定され変化せず、しかも無限無量に存在します。衆生があまりにも多く、如来蔵が無限であるため数え尽くすことができず、故に無量数と称されるのです。

これほどの数の如来蔵がこれほどの衆生に対応する中、衆生は果たして全て救済され得るのでしょうか。衆生界が増加し続けなければ、仏菩薩が次第に増えていくにつれ、いずれ全ての衆生が救済される時が来ます。どれほど数が多くとも必ず救済し尽くされる日が訪れますが、その時期は定められず、測り知れないほど永劫の時を要します。全ての衆生が仏となった時、救済すべき衆生は存在せず、諸仏が世に住む意義も必要性も失われ、皆涅槃に入られるでしょう。諸仏には無用の事に執着する理由がなく、十方世界も存在する必要がなくなります。最後に成仏する衆生たちは修行が極めて容易で、一尊の仏が一衆生を護持し、その修行はロケットの如く迅速に進みます。最後の衆生たちはもはや悪業を造る機会がなく、無明の業種が瞬く間に消滅し、衆生を救済する過程を経ずとも成仏できます。無明が消滅した時、即ち仏となるからです。

——生如法師の開示
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甚深なる禅定において如理に思惟し観行を参究することによってのみ、仏法を実証することができる

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