衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月11日    日曜日     第4 回の開示 合計1809回の開示

意根と禅定の関係

一つの疑問が頭の中に渦巻き、長く解決されずにいました。比較的暇な時間に、意根はしっかりと考えてみようと決め、意識と意根の二者は深く思索に耽り始めました。しかしなぜ深く思索に耽る時、手は頬杖をつく動作を伴い、目は軽く閉じる動作を合わせ、身体は静まり返って動かなくなるのでしょうか。思索の末に答えを得て問題を解決した時、なぜ両手を合わせて拍手し、踊りだし、顔には喜びの表情が浮かぶのでしょうか。

意根が眼前の問題の重要性を悟ると、思考に集中し他の法塵に縁を結ぶ余裕がなくなります。意根は前六識の主導的な識であり、意根が静まると身体も静まるのです。禅定を得られない者は、自らの意根をよく検証すべきです。その中に何が詰まっているのか、速やかに意根を空にする必要があります。意根を制御できなければ、禅定も真の精進修行も望むべくもありません。

多くの人は自分が優れていると思いがちですが、それはおそらく意識が優れているだけで、意根までは至らず、本質的には未だ優れていないのです。真に自己を明らかに見通せる者は多くありません。自らの心の奥底を探求することを恐れる人々もおり、良からぬ思想観念が検出されるのを懸念しています...多くの善人の意識は意根よりも優れている事実は何を物語るのでしょうか。多くの悪人の意根が意識よりも優れている事実は何を示すのでしょうか。これは環境の影響力が極めて大きく、意識が善悪の影響を受けやすいことを示しています。意根が意識よりも優れている現象は存在するのでしょうか。劣悪な環境下では意識が悪に染められ、意根よりも堕落する可能性があり、本質的には悪くない悪人が環境に追い込まれている場合もあるのです。

——生如法師の開示
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