衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月11日    日曜日     第5開示 合計1810開示

盗とは何か

仏教徒の中で、五戒を厳格に守り、少しも犯さず、満点を取れる者はどれだけいるでしょうか。五戒に多少の欠落があっても八割を守れる者はどれほどいるか。大部分の五戒を守り、六割を達成できる者はどれほどいるか。おそらくごくわずかでしょう。不妄語戒については、守れる者はほとんどいないと推測します。つまり、一人もいないかもしれない。したがって人間は完全に誠実ではなく、完全に信頼できる存在ではありません。

人は皆、完全に不殺生を実践しているでしょうか。盗み、すなわち「与えられていないものを取る」行為――他人が同意も頷きもしていないのに自分が取れば、それは盗みです。自分に属さないものを心の中で自分のものだと思い込むことも盗みです。人に関しても、配偶者以外の者に心で邪な想いを抱くことも盗みに含まれます。心が正常でなく、意図が真実で善でないものは全て邪に属します。他人の同意を得ずに勝手に他人のものを食べたり飲んだりすることも全て盗みに該当します。多くの人は非常に勝手気ままで、自分本位に振る舞い、周りを顧みません。手段を用いて無理やり他人に同意させようとする者もいますが、口では同意しても心では同意していなければ、依然として盗みです。盗みには名声も含まれ、名声を騙し取ること、地位や権勢を騙し取ることも全て盗みに属します。

人は常に縁に攀じることを好み、私利私欲に走り、縁に随わず、心を守らず、不誠実で、貪り多く求める結果、戒を犯し、心が散乱して禅定を得ることができません。さらに、五戒すら受けず、そもそも五戒を受ける気もなく、戒を受けることさえ望まず、守りたくもないのに、深い禅定や智慧を得ようとする者がどれほどいることか。それは不可能であり、迷妄のまま悟りを開こうなどなおさら不可能なことです。

——生如法師の開示
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