菩薩もまた阿羅漢であり、阿羅漢の行持を備え、禅定を修め、心清らかで煩悩なく、解脱の智慧を持たねばなりません。菩薩の行持は阿羅漢を優れており、決して劣ることはありません。阿羅漢の徳目は菩薩が全て具えておりますが、ただ無余涅槃に入ることを望まない点が異なります。これこそ真の大菩薩であります。もし菩薩の煩悩が非常に重いならば、当然阿羅漢にも及ばず、初果の須陀洹にも及ばないでしょう。それは真の菩薩ではありません。
0
+1