衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月13日    火曜日     第4開示 合計1818開示

理論的知識は実証を表すものではありません

仏法を学ぶ際に、ただ経典を暗記したり盲信したりするだけでは、どうして修行の道が進歩できようか?智慧はどうして増長できようか?せっかく人間の身を得て、大乗の了義の教えに出会ったのに、もし自分の頭脳を十分に活用せず、深く細やかに思索し、実証を求めなければ、人間の身を得たことも、真実の仏法に出会ったことも無駄になり、数十年が過ぎても自分は依然として何も得られず、残念なことではないでしょうか?できる限り自分自身の正しくない、理にかなわない仏法の学び方を改め、宝を数えるだけではなく、自分のポケットに宝を収めるべきです。他人のために数えても無意味で、結局は無駄に終わります。必ず禅定を修め、禅定の中で仏法を観じて実践しなければなりません。禅定を離れて理解しただけでは十分ではなく、ましてや悟りを得ることなどできません。悟りによって得られた智慧こそが究極の智慧であり、自分自身のものとなる智慧です。理解だけでは頼りにならず、ましてや理解が不十分ではなおさらです。

三蔵十二部経をどれほど暗誦できても、意根に染み込ませなければ、中有の身においてこれらの知識は何の役にも立ちません。理論的な知識は所詮知識に過ぎず、自分自身が悟りを得て手に収めなければ、全く機能しません。だから私は皆さんに常に禅定力と観行を強調するのです。これは知識よりもはるかに重要です。さらに、悟りの位階に関する事柄も理論的な知識とは関係がなく、どれほど多くの仏法を暗誦できても、悟りを得なければ位階はゼロです。仏法を悟った人は、たとえそれほどの理論的知識がなくても、実際に悟った境地が位階の高低を決定します。

——生如法師の開示
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