意根は無始劫以来の煩悩により、六識を熏習し、六識が無自覚のうちに業行を造作させ、業種がさらに第八識に蓄積され、再び意根を熏習します。このように繰り返し熏習されることで、衆生は真に解脱の日がありません。衆生が業を造る様は、顧みることもなく、天をも地をも恐れず、見る者に戦慄を覚えさせます。菩薩は直接的に各種の業行がどのような果報を受けるかを感知でき、それらの果報は受けるに堪え難い苦痛であり、地上の菩薩でさえも耐え難いものです。
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