衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月14日    水曜日     第1開示 合計1820開示

意根に意識の説得教育を受け入れるにはどうすればよいでしょうか?

もし人が自分が間違っていると知った場合、どうすべきか、どう過ちに対処すべきか、それは何にあるのか。意識が間違いを知った後、さらに意根にその過ちを認識させなければならない。意根が一度間違いを理解すれば、事は容易になる。意識は自らの過ちをありのままに意根に伝え、意根は自ら善悪を思量し始める。

意識が単純に大まかに理解した後、さらに思惟観行を重ね、より細かく了知する必要がある。この過程において、意根は薫習を受けやすくなり、自らの思量を起こすことができる。意識はより細密に思惟了知し、証拠をより確実にしなければならず、禅定の中でこそ細密かつ透徹した思惟が可能となる。意根が明瞭に思量するためには、必ず禅定の中で邪魔されない状態でなければならない。

意識は自らが意根を薫習すべきことを知っているが、意根はその時点で意識が自分を薫習しようとしていること、あるいは薫習していることに気づかないかもしれない。一つは意根に意識の考えや意図を理解する智慧があるかどうか、二つは意識が心の内で法義の内容を深く理解できるかどうか、思惟が明瞭かどうか、三つは意根が普段から意識をよく理解しているかどうか、両者のコミュニケーションと調整能力が良好かどうかによる。

意根が意識が自分を薫習し変えようとしていることに気づいた時、もし意根の我執の習気が非常に強い場合、意識の考えが意根に著しく背くと、意根は不愉快になり、心が苦しく、逃げたり反抗したくなる。もし意識の考えが意根にあまり背かず、意根が受け入れられるならば、意根が降伏した後は、道理を理解すればするほど薫習や説得教育を受け入れやすくなる。

——生如法師の開示
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