証果の後、三悪道の業は消滅しますが、これらの業は人間界で報いを受けることになります。人間界における如何なる報いも、三悪道の苦しみに比べれば軽微なものです。人間界における最大の悪報は短命であり、殺害されるか苦痛に満ちた死を迎えることですが、それでも三悪道の苦しみよりは軽いのです。六識心が存在すれば感受作用があり、苦楽や不苦不楽を感受します。聖人も同様です。ただし聖人は心の作用が少なく、五欲六塵に心を留めないため、苦楽の感受は極めて軽微です。もし六塵に執着すれば、苦楽の感受も多くなります。
煩悩があれば業行が生じ、過ちを犯すことになります。悟りを開き証果した後も同様です。煩悩が軽微であれば過ちも少なく、煩悩を断じれば過ちは更に減少します。煩悩を断じた後も煩悩の習気が残り、わずかな過ちが生じます。八地菩薩に至って我執が完全に断たれ、煩悩の習気も断尽すれば、我に関する業行は存在しなくなります。四地菩薩以上は四禅八定を具え、神通力を得るため、苦受は全くありません。彼らは容易に人間界に来ることもなく、特に七地・八地の菩薩は人間界に来る必要が全くありません。
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