衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月15日    木曜日     第2 回の開示 合計1826回の開示

我見を断ちたる後の解脱功徳の受用

我見を断ずると同時に、我の見も断たれます。肝心なのは、意根が五蘊を無我と認めるか否かであり、意識心がそう考えるだけでは無意味で、真の我見断ちではありません。内心の奥底から完全に五蘊を我あるいは我の所有と見做さず、六塵を我の所有と認めない状態に至らねばなりません。思惟観行においては、意識心が深く細やかに思惟を重ね、これによって意根を導き、意根に理を悟らせる必要があります。意根が理を悟れば自らの思想観念を改め、身心全体が大きく転換します。これ以降、意根は次第に六識の受想行識の機能作用を我あるいは我の所有と執着せず、色蘊を我あるいは我の所有と捉えなくなります。大乗法を証得すれば、五蘊十八界のこれらの機能作用を真の主である第八識に徐々に帰し、大乗の各関門を次々に突破し、智慧が絶えず深く鋭くなり、身心がますます解脱へと向かうのです。

——生如法師の開示
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六塵の了別はすべて意根によるものであります

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