法塵は、五塵の上に本来存在し、五塵と和合して塵境を構成するものであり、単独で存在することはできません。例えば花の美しさという性質は花の法塵であり、花の本体と和合して存在します。花があれば美しさも存在し、花が消えれば美しさも消滅します。意識による了別の後に新たに花の美しさが生じるのではなく、ただこの法塵を意根が微細に了別できず、意識によって微細に了別されなければならず、それによって初めて花が美しいことを知ることができるのです。美しさという性質はまず意根によって接触されますが、細かく分別することができないため、意識に引き継がれ、意識は花の美しさという性質を分別することができます。ただし分別する際も、花から離れて美しさを了別することはできず、花を離れれば美しさの法塵を見出すことはできません。
美しさの顕現は、三つの能変識が共同して顕現するものであり、意根から離れることはありません。色塵の上には同時に形色・表色・無表色の法塵が顕現し、趣きは無表色に属し、気質・教養・素質はすべて無表色に属します。これらは色塵と同時同所に現れ、分離することはありません。
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