眼識(げんしき)が色(しき)を見る際に見るのは、顕色(けんじき)であり、青・黄・赤・白、光明(こうみょう)・黑暗(こくあん)、雲(くも)・煙(けむり)・霧(きり)・靄(もや)、そして虚空(こくう)である。光明自体が一種の物質(ぶっしつ)であり、四大(しだい)によって構成(こうせい)され、刹那(せつな)に生滅変異(しょうめつへんい)する虚妄(こもう)の存在(そんざい)である。
眼識自体に思(し)心所(しんじょ)が具(そな)わっており、色塵(しきじん)を領納(りょうのう)した後、色塵を了知(りょうち)し、その後に思心所が生起(しょうき)して、避(さ)けるか、もう少(すこ)し見続(みつづ)けるかという造作(ぞうさ)を決定(けってい)する。眼識は意根(いこん)及び意識(いしき)と同時(どうじ)に密接(みっせつ)に連携(れんけい)・協働(きょうどう)しており、意根の作意(さい)と思(し)がなければ、眼識と意識の出生(しゅっしょう)と了別(りょうべつ)はなく、したがって眼識の五遍行(ごへんぎょう)も、意識の五遍行も存在しない。眼識が色を見るのであり、第七識(だいななしき)は色を見ることはできない。意識が分析(ぶんせき)・推理(すいり)・判断(はんだん)を行うのであり、第七識はこれらの働(はたら)きをなすことはできない。七つの識(しき)は全て分別性(ふんべつしょう)を有(ゆう)しており、識とは分別(ふんべつ)・了別(りょうべつ)するからこそ識と称(しょう)されるのであり、そうでなければ識とは呼(よ)ばれない。
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