心所法は識心の助伴であり、必ず識心の運行に伴わなければなりません。そうでなければ識心は何も為すことができません。識心が現れる限り、心所法は必ず同時に現れ、心所法がなければ識心は運行できず、世間の一切の法も生起し存在することはできません。たとえ第八識の運行においても、自らの心所法の助力を必要とし、第八識そのものの存在もまた心所法の陪伴を離れることはありません。
四食の出現と運行は全て識心の機能作用であり、識心が心所法の助伴を離れられない以上、四食も心所法を離れることはありません。凡夫は四食を離れられず、聖賢人も欲界人間においては四食を離れられません。禅定の境地が比較的高い者は団食・思食を離れることができ、時に触食を離れることもありますが、識食を離れることはできません。衆生の生命の最も基本的な需要には、第八識と第七識の識食が存在するのです。
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