清浄なる四大には生成の意義があり、物質的な色法を生成することができます。物質的な色法は如来蔵によって生成され、衆生の業縁に依って生起し、生滅変異します。具体的には依然として三つの能変識が和合して運作する結果であり、完全には如来蔵中の業の種子によって決定されるものではなく、後天的な要素も存在します。後天的な要素は意根と意識から離れることはできません。例えば、もし意識が世間に生きており、あらゆる面で意のままにならないならば、この世はまったくつまらないと感じるでしょう。意根がこれを了知した後は、生きたいと思わない考えを持つ可能性があり、そうして自殺する方法を考え出すかもしれません。もし意識が色身を気にしないならば、意根は自身に栄養を強化しないと決め、そうして色身は衰弱するでしょう。意根と意識の意念はすべてを指揮し、すべてを変えることができます。私たちの念の力が強ければ、外界の事物をも変えることができます。
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