四果の阿罗汉が世俗界に戻ると、四果から三果に退転し、再び出家して世俗を離れた後、再び四果の阿罗汉となります。四果の阿罗汉が退転し得るならば、三果もまた当然退転し得ます。禅定も消失し得るし、心の行いも退転します。さらには二果が初果に退き得るほどです。四果の阿罗汉でさえ執着を断じた後も再び退転し、執着を生じ得ます。ましてや三果においてはなおさらです。
経典には具体的な事例が記されており、その果位を証得していない者には理解できません。低位にいる者が高位を見極めることはできず、ましてや論評することなどできません。事実の真相を掌握するには、自ら体験するほかないのです。今多くの人々が、明らかに凡夫の段階にあるにもかかわらず、終日仏地の境地を論じ合い、顔を真っ赤にして争っていますが、これらは全て机上の空論で、何ら意味をなさないことです。
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