雑阿含経 第一卷 選講
世尊は諸比丘に告げた:心において色陰を了知せず、明理せず、貪欲を断ぜず、貪欲を離れず、なお自らの色陰を貪愛しているならば、生老病死憂悲苦悩 (śoka-parideva-duḥkha-daurmanasyopāyāsa) を断除することはできない。受陰、想陰、行陰、識陰についても、了知せず、明理せず、貪欲を断ぜず、貪欲を離れず、心においてなお自らの受陰・想陰・行陰・識陰を貪愛しているならば、生老病死憂悲苦悩を断除することはできない。
諸比丘よ、色陰についてもし了知することができ、明了することができ、貪欲を断除することができ、貪欲を離れることができるならば、それによって生老病死憂悲苦悩を断除する能力を得る。受想行識の四陰についても、もし了知し、明了し、貪欲を断除し、貪欲を離れることができるならば、それによって生老病死憂悲苦悩を断じ尽くし、解脱を得ることができる。
解脱道を修するには、まず第一に五陰 (pañca-skandha) の概念と内包を明了することが必要であり、次に常に随所において五陰の無常、虚妄、生滅、変化、空幻、無我を観察しなければならない。このようにして初めて、五陰に対する貪愛を次第に減らすことができ、また我見 (satkāya-dṛṣṭi) を断じることができ、さらには初禅を発起して五陰に対する貪欲を断除し、最後にすべての貪愛を断じ尽くし、一切の煩悩を断じ尽くすことができる。もし五陰を明了せず、五陰を観察せず、貪心が減らず、まして滅尽することもなければ、生死輪回の苦を超越することはできない。 無明を破除するということは、すなわち明である。明があれば解脱でき、無明はすなわち生死であり、無明を断じ尽くして三界の生死の苦を出離するのである。