座禅三昧経講義
原文:问曰。云何除亲里觉。答曰。应如是念。世界生死中自业缘牵。何者是亲。何者非亲。但以愚痴故。横生着心。计为我亲。过去世非亲为亲。未来世非亲为亲。今世是亲。过去非亲。譬如鸟栖暮集一树。晨飞各随缘去。家属亲里亦复如是。生世界中。各各自异心。缘会故亲。缘散故疏。无有定实。因缘果报。共相亲近。
解釈:問:いかにして親族を思う覚観を除くのか。答:このように思うべきである。娑婆世界の生死の中では、すべて自分の業縁に牽引された結果であり、誰が親で誰が非親なのかは、すべて愚痴のゆえに、心に強く執着して自分の親族と執計するのである。過去世には親族でなかったものが、今世になって親族となり、未来世には親族でなく、今世は親族であり、今世は親族であっても過去世には親族ではなかった。たとえば飛鳥が夜にある一本の木に集まり、朝にはそれぞれ縁に随って飛び去るように、家親眷属もまたこのようである。一つの世界に生れても、一人一人心は異なり、一つにまとめることはできない。因縁が会すれば親族であり、因縁が散れば疎遠になるのであって、固定した真実の因縁果報があるのではなく、いわゆる親族を互いに親しませているにすぎない。
原文:譬如干沙。缘手团握。缘捉故合。缘放故散。父母养子。老当得报。子蒙怀抱。养育故应报。若顺其意则亲。若逆其意是贼。有亲不能益而反害。有非亲无损而大益。人以因缘故而生爱。爱因缘故而更断。譬如画师作妇女像。还自爱着。此亦如是。自生染着。染著于外。
解釈:たとえば乾いた土砂を手で握って団にするように、手で握る因縁によって一つに合し、手で握る縁が消えれば砂の団は散る。父母は子女を養育するゆえに、老いたときに子女から報いを受けるべきであり、子女は父母の恩養を受けるゆえに、父母の恩に報いるべきである。もし相手の意志に順えば親であり、もし相手の意志に逆らえば賊である。ある親族は益するところがなく、かえって害があり、ある非親族は損害がなく、かえって大きな益がある。人はすべて何らかの因縁によって愛意を生じ、愛は因縁によって生じたものであるゆえに、縁が散れば断除される。たとえば絵師が女人の像を描いたあと、自分でその女人像に貪愛するように、家親眷属もまたこのようであり、すべて自分が生じさせた染愛心によって外縁に貪染執着するのである。
原文:过去世中汝有亲里。今世于汝。复何所作。汝亦不能益过去亲。过去亲不益汝。两不相益。空念之为是亲非亲。世界中不定无边。如阿罗汉教新出家恋亲弟子言。如恶人吐食。更欲还啖。汝亦如是。汝已得出家。何以还欲爱着。剃发染衣是解脱相。汝着亲里不得解脱。还为爱所系。三界无常。流转不定。若亲非亲。虽今亲里。久久则灭。如是十方众生回转。亲里无定。是非我亲。
解釈:過去世においてあなたにも親族があったが、今世においてあなたに対して何をなしえるのか。あなたも過去世の親族に対して何の益もなしえず、過去世の親族もあなたに対して何の益もなしえない。互いに益するところがなく、心に空しく親か非親かと念じて、空しく得るところがない。世界には不定の要素が無量にもある。
たとえば阿羅漢が、新しく出家したのにまだ親を恋い懐かしむ弟子を教えて言うには、胃の具合の悪い人が吐き出した飲食を、さらにまた食べ戻そうとするようなものであり、あなたもこのようであると。あなたはすでに出家したのに、なお貪愛するのか。鬚髪を剃り染衣を着るのが解脱相であるのに、あなたは親族に貪着して解脱を得られず、なお貪愛に繫縛される。三界の世間はすべて無常法であり、生死流転は不定であり、親も非親も定まらない。今世は親族であっても、長い時ののちにはそうではなくなる。それゆえ十方の衆生は生死輪回し、親族は不定であり、それは親族ではないのである。
原文:人欲死时。无心无识。直视不转。闭气命绝。如堕闇坑。是时亲里。家属安在。若初生时先世非亲。今强和合作亲。若当死时复非亲。如是思惟。不当着亲。如人儿死。一时三处父母。俱时啼哭。诳天上父母妻子。人中亦为诳。龙中父母亦为诳。如是种种正观。除亲里觉。
解釈:人が死のうとするときには、心識がなく、目光は直視して動かず、気が止まり命が絶え、暗黒の大坑に堕ちるようである。このときあなたの家親眷属はどこにいるのか。生れたばかりのときには、前世はいずれも親族ではなく、今世に無理やり一緒になって親族となり、死のときにはまた親族でなくなる。このように思惟すれば、もはや親を貪着すべきではない。たとえばある人が幼いときに死ぬと、三つの場所の父母が同時に泣き、天上の父母妻子は欺かれ、人中の父母妻子も欺かれ、龍中の父母妻子も欺かれる。このように種々の正しい観行によって、親族の覚観を除くことができる。
原文:问曰。云何除国土觉。答曰。行者若念。是国土丰乐安隐。多诸好人。恒为国土觉绳所牵。将去罪处。觉心如是。若有智人不应念着。何以故。国土种种过罪。所烧时节转故。亦有饥饿。身疲极故。一切国土无常安者。
解釈:問:いかにして国土・家園の覚観を除くのか。答曰:修行人がもし心に、この国土は豊かで安楽・安穏であり、多くの好人善人がいると念ずれば、常に国土覚観の縄に牽引され、罪悪の処に縛り去られる。覚観心はこのように人を繫縛する。智慧ある人は国土を念着すべきではない。なぜ国土をそのように念着すべきでないのか。国土には種々の過罪があり、焼き滅ぼされたり、因縁の時劫が変わったりして国土は変化し、飢饉のときもあり、民衆は飢えに苦しみ、身体は疲弊して力がなくなるなどである。一切の国土世間に恒常安楽のものはない。
原文:复次老病死苦。无国不有。从是间身苦。去得彼处身苦。一切国土去无不苦。假有国土安隐丰乐。而有结恼。心生苦患。是非好国土。能除杂恶国土。能薄结使。令心不恼。是谓好国土。
一切众生有二种苦。身苦心苦。常有苦恼。无有国土无此二恼。复次。有国土大寒。有国土大热。有国土饥饿。有国土多病。有国土多贼。有国土王法不理。如是种种国土之恶。心不应着。如是正观。除国土觉。
解釈:さらに言えば、生老病死の苦は、国土としてこれのないものはなく、一つの世間で身苦を除いても、別の世間に行けばまた身苦がある。一切の国土に行っても苦のないところはない。たとえ安穏で豊かで楽しい国土があったとしても、自分の内心に煩悩結使があれば、なお心に苦患が生じる。それゆえこの国土も良い国土ではない。雑悪業行を除きうる国土、衆生の貪瞋痴の煩悩結使を淡薄にさせ、衆生の心に恼害のない国土こそが、良い国土である。
一切の衆生には二種の苦、すなわち身苦と心苦があり、それゆえ常に苦悩があり、この二種の苦悩のない衆生のいる国土はない。さらに言えば、大寒の天気のある国土もあり、大熱の天気のある国土もあり、飢餓のある国土もあり、災病の多い国土もあり、賊盗の多い国土もあり、国法が不合理な国土もある。このように種々の国土の過患悪患があるゆえに、心は国土を念着すべきではない。このように正しく国土を思惟観察すれば、国土・家園の覚観を除くことができる。
原文:问曰。云何除不死觉。答曰。应教行者。若好家生。若种族子才技力势胜人。一切莫念。何以故。一切死时。不观老少贵贱才技力势。是身是一切忧恼诸因缘。因自见少多寿。若得安隐。是为痴人。何以故。是谓忧恼因依是四大。四大造色如四毒蛇。共不相应。谁得安隐者。出息期入是不可信。
解釈:いかにして永遠に死なないことを望む覚観を除くのか。答曰:修行者を教導すべきである。もし良い家庭に生れ、もしその家の種族の子孫の才能・技術・勢力が人に勝っていても、この一切を心に念ずべきではない。なぜ念じてはならないのか。人が死亡するときには、老いも若きも、貧富も貴賤も、才能・技術・勢力の有無もかまわず、一律に死ななければならないからである。この五陰の身こそ一切の憂悲苦悩の因縁の集まる処であり、それゆえ、自分がもう少し長生きできれば安穏で楽しいと思えば、それは愚痴な人である。なぜそう言うのか。憂悲苦悩の因縁は四大に依ってあり、四大が色身を造っており、それは四匹の毒蛇が一緒にいるようで、互いに調和しない。誰が安穏を得られるのか。この息が出て、また入ってくることを期待するのは、当てにならない。
原文:复次人睡时。欲期必觉。是事难信。受胎至老。死事恒来。求死时节。言常不死。云何可信。譬如杀贼。拔刀注箭。常求杀人。无怜愍心。人生世间。死力最大。一切无胜。死力强者。若过去世第一妙人。无能脱此死者。现在亦无大智人。能胜死者。亦非软语求。非巧言诳。可得避脱。亦非持戒精进。能却此死。以是故当知。人常危脆。不可怙恃。莫信计常。我寿久活。是诸死贼。常将人去。不付老竟。然后当杀。
解釈:さらに言えば、人が眠ったあと、必ず目覚められると望むことも、予測しがたいことである。投胎して生れて老いるまで、死という煩悩事も絶えず現れる。死ぬべきときに、しばしば死なないことを望むが、これはどうして信じられるのか。たとえば人殺しの賊が刀を抜き矢を番えて、常に人を殺そうと求め、憐憫の心がないように、死の賊もこのようである。人が世間に生きているあいだ、死の力が最も大きく、すべてのものの中で死の力より強いものはない。過去世の最も勝れた妙なる人でさえこの死から逃れられず、現在においても大智慧の人で死に勝てる者はいない。死は軟言巧語で求められるものでもなく、巧舌で欺いて逃れられるものでもなく、持戒精進の修行によっても抵えることはできない。それゆえ知るべきである。人はきわめて危脆であって、依り頼むことはできず、自分が長寿で長く生きられると信じ期待してはならない。死の賊は常に人を連れ去り、年老いるのを待たずに自分を殺してしまうのである。
原文:如阿罗汉教诸觉所恼弟子言。汝何以不知厌世入道。何以作此觉。有人未生便死。有生时死者。有乳餔时。有断乳时。有小儿时。有盛壮时。有老时。一切时中间死法界。譬如树华。华时便堕。有果时堕。有未熟时堕。是故当知。勤力精进求安隐道。
解釈:阿羅漢が覚観の賊に恼害される弟子を教えて言うには、あなたはなぜ世間を厭離して速やかに道に入ることを知らないのか。なぜ自分が死なず長生きするという覚観ばかり持つのかと。生れる前に死ぬ人もあり、生れたばかりで死ぬ人もあり、乳哺のときに死ぬ人もあり、離乳したばかりのときに死ぬ人もあり、幼少のときに死ぬ人もあり、盛壮の年に死ぬ人もあり、老いてから死ぬ人もある。一切の時の中で、死の時節は定まらない。たとえば木の花のように、開花のときに落ちるものもあり、結実のときに落ちるものもあり、果実が熟さないうちに落ちるものもある。それゆえ、精勤に精進して真の安穏の道を追求すべきである。
原文:大力贼共住不可信。此贼如虎巧覆藏身。如是死贼常求杀人。世界所有。空如水泡。云何当言。待时入道。阿谁能证言汝。必老可得行道。譬如险岸大树上有大风。下有大水崩其根土。谁当信此树得久住者。人命亦如是。少时不可信。父如谷子。母如好田。先世因缘。罪福如雨泽。众生如谷。生死如收刈。
解釈:死という大力の賊と共に住むことは、信頼できない。この賊は虎のように巧みに自分の色身を隠しており、このような死賊は常に人を殺そうと探し求めている。世界のすべては水泡のように空であり、いつかの時を待ってから修道すると言えるだろうか。誰があなたが必ず老いるまで生き、そのときになって初めて修道できると保証できるのか。たとえば危険な崖の上に一本の大木があり、上には大風が吹き、下には大水が樹根の土を崩す。誰がこの木が長く住世すると信じられるのか。人命もこのようであり、少しも信じられるときはない。父は穀の種子のようであり、母は良い田畑のようであり、前世の罪福業因縁は雨露の潤沢のようであって、はじめて人命が生じる。衆生は穀麦のようであり、生死は収穫のようである。
原文:种种诸天子人王智德。如天王佐天。斗破诸阿须伦军。种种受乐。极高大明。还没在黑闇。以是故莫信命活言。我今日当作此。明后当作是。如是正观种种。除不死觉。如是先除粗思觉。却后除细思觉。心清净生得正道。一切结使尽。从是得安隐处。是谓出家果。心得自在。
解釈:種々の諸天の天子・人王の智慧徳行は、忉利天王が天子を率いて阿修羅の軍隊を戦い破ったように、種々の享楽をなし、示す智慧は極めて高く英明であるが、それでもなお暗黒の深坑に沈没している。それゆえ、命がまだ健在である人の「私は今日これをなし、明日はあれをなす」という言葉を信じてはならない。
このように種々正しく思惟観察すれば、死なないことを望む覚観を除くことができる。このようにまず粗い覚観を除き、ついで細かい覚観を除き、心が清浄になってはじめて道果を証得でき、一切の煩悩結使がすべて消滅する。ここから安穏の処に到る。これが出家の果徳であり、心は大自在を得る。
原文:三业第一清净。不复受胎。读种种经多闻。是时得报果。如是得时。不空破魔王军。便得第一。勇猛名称。世界中烦恼将去。是不名健。能破烦恼贼。灭三毒火。凉乐清净。涅槃林中。安隐高枕。种种禅定。根力七觉。清风四起。顾念众生。没三毒海。德妙力如是。乃名为健。如是等散心。当念阿那般那。学六种法。断诸思觉。以是故念数息。
解釈:身口意の三種の業行がすべて最も清浄に達すれば、もはや投胎受生する必要がなく、三界の法を一切貪愛せず、執着がなくなるので、三界の業は消滅し、業がなければ受生投胎する必要はない。種々の経文を読誦し、広く学んで多聞し、一定の程度に修到すれば修行上の業報果を得ることができる。果報を得たとき、貪欲瞋恚を断除すれば、魔王の軍を破り魔王を降伏し、第一の勇猛の名称を得ることができる。世界に生きて煩悩に繫縛されるのは、力ある健将とは言えない。煩悩の賊を破り、貪瞋痴の三毒の火を滅し、心に清凉寂静を得て、涅槃の林の中に安穏に住し、高枕に憂いなく、種々の禅定を具足し、五根・五力・七覚分が具足し、さらに三毒の海に没する衆生を顧念憐憫する。威徳妙力がこのような程度に到って、はじめて勇健と名づけられる。
もし種々の散乱心があれば、阿那般那を念じ、六種の妙法を修学して諸々の覚観を断除すべきである。それゆえ数息法を念ずべきであると言う。
原文:问曰。若余不净念佛四等观中。亦得断思觉。何以故独数息。答曰。余观法宽难失故。数息法急易转故。譬如放牛。以牛难失故。守之少事。如放猕猴易失故。守之多事。此亦如是。数息心数不得少时他念。少时他念则失数。以是故初断思觉应数息。
解釈:問:もし他の方法、たとえば不浄観・念仏などの四種の観想法によっても思覚を断除できるなら、なぜ数息法だけを学ぶのか。答曰:他の観行方法は緩やかで、思惑覚観を除きがたい。数息法は速やかで、覚観を容易に転換できる。たとえば牛の放牧では、牛が勝手に走り回らず守りやすいので、手間がかからない。マカオの放牧では、マカオがあちこち勝手に走り回りやすいので、多くの心を配って見守らなければならない。数息法もこのようである。数息するとき、心で数を念じているあいだは一刹那でも他事を念じてはならず、少しでも他事を念じれば数を忘れてしまう。多くの心を配って専心に数息し、雑念があってはならない。それゆえ最初に思覚を断除するには数息法を用いるべきである。
原文:已得数法。当行随法。断诸思觉。入息至竟。当随莫数一。出息至竟。当随莫数二。譬如负债人。债主随逐。初不舍离。如是思惟。是入息是还。出息更有异。出息是还。入息更有异。是时知入息异。出息异。何以故。出息暖入息冷。
解釈:数息で心が清浄になり、数が乱れなくなったあとは、随息法を修習して覚観思覚を断除すべきである。随息法とは、入息が終われば息の運行に随い、もはや一と数えず、出息が終われば息の運行に随い、もはや二と数えないことである。たとえば借金した人は、債主が後ろに随い追逐して一刻も離れない。出入息は借金した人のようであり、心念は債主のようである。
入息と出息に随って、今が入息か出息かを思惟判断し、出入息にどんな差異があるのか、今は出息か入息か、さらにどんな差異があるのかを観察する。このとき入息は出息と異なり、出息は入息と異なることを知るべきである。なぜ両者の一致しないことを知るのか。出息のときは気が暖かく、入息のときは気が冷たいからである。
原文:问曰。入出息是一息。何以故。出息还更入故。譬如含水。水暖吐水水冷。冷者还暖。暖者还冷故。答曰。不尔。内心动故有息出。出已即灭。鼻口引外。则有息入。入故息灭。亦无将出。亦无将入。复次少壮老人。少者入息长。壮者入出息等。老者出息长。是故非一息。
解釈:ある人が問って言うには、一入息一出息を合わせて一呼吸であり、なぜそう言うのか。出息のあとさらにまた入息があるからであり、出息のあと終わってしまわないからである。たとえば口に水を含めば水は暖かく、口から水を吐けば水は冷たく、冷水はまた暖かくなり、暖水はまた冷たくなるからであると。答曰:そうではない。内心が動くときに息が出て、出たあと息はなくなってしまう。鼻口が外気を吸えば息が入ってきて、入ったあと息は滅し去る。息がまた出ていくとか、また入ってくるとかいうことは根本にない。さらに言えば、幼児・青壮年・老人の出入息の状況はいずれも異なり、幼児は入息が出息より長く、青壮年は入息と出息が同じ長さで、老人は出息が入息より長い。それゆえ出入息は一つの息脈ではなく、一呼吸ではないのである。
原文:复次脐边风发。相似相续。息出至口鼻边。出已便灭。譬如[夢-夕+棐]囊中风开时即灭。若以口鼻因缘引之则风入。是从新因缘边生。譬如扇众缘合故则有风。是时知入出息因缘。而有虚诳不真。生灭无常。
解釈:復次、へそのかたわらの風が発動するとき、絶え間なく上へ排出されるのが息出であり、口鼻のところに出て、さらに出れば滅してなくなってしまう。たとえば韛囊の中の風が、韛囊が開かれたときには風は滅する。もし口鼻で風を引き寄せれば、風は鼻の中に入る。それなら入息は新しい因縁から生じたものである。たとえば扇子は複数の因縁が和合して、はじめて風が出る。思惟観察してここに至ると、このとき入出息はいずれも因縁があって生じたものであり、因縁によって生じた法であり、虚誑で真実でない法であり、生滅無常変異であることを知る。
原文:如是思惟。出息从口鼻因缘引之。而有入息因缘。心动令生。而惑者不知。以为我息。息者是风。与外风无异。地水火空。亦复如是。是五大因缘。合故生识。识亦如是。非我有也。五阴十二入十八持。亦复如是。
解釈:このように思惟すべきである。出息は口鼻の因縁があって引き出され、はじめて入息の因縁があり、いずれも心念の波動が、出息入息の現象を生じさせたものである。しかし心が迷っている人はこれを知らず、なお出入息は自分の息脈だと思っている。
いわゆる息とは風であり、身体の外の風と差異がない。身体の中の地水火空もこのようであり、身体の外の地水火空と差異がない。この五大の因縁が和合するときに六識が生じる。五大が色声香味触法を形成しうるのであり、六塵が現れると、六識は根が塵に触れることによって生じる。それゆえ六識も因縁によって生じたものであって、私(意根)の所有するものではなく、五陰・十二入・十八界もこのようであり、因縁によって生じ、私(意根)の所有するものではない。
原文:如是知之。逐息入息出。是以名随。已得随法。当行止法。止法者。数随心极。住意风门。念入出息。
问曰。何以故止。答曰。断诸思觉故。心不散故。数随息时。心不定心多剧故。止则心闲少事故。心住一处故。念息出入。譬如守门人门边住。观人入出。止心亦尔。知息出时。从脐心胸咽至口鼻。息入时。从口鼻咽胸心至脐。如是系心一处。是名为止。
解釈:このように知るべきである。心念が息入と息出に随うことを、随息と名づける。随息法を修し終えたあとは、止息法を修習すべきである。止息法とは、数息随息をしばらく運行したあと、心が疲労を感じて動きたくなくなったら、すべての注意力を風息の出入のところに集中させ、心念を専一に出入息の上に置いて動かさず、もはや息に随って運転する必要のないことである。
ある人が問う:なぜ心念を出入息の上に止めるのか。答:思覚を断除し、心の散乱を防ぐためである。数息随息のときには、心念にはなお動転があり、遊移不定で、心の動きが激しい。心念を気息の入出のところに止めれば、内心は閑かで、なすべき事が比較的少ない。心念が一処に住して、ただ気息の出入の状況に注意するだけで、他のことはなく、心は止まりやすく、定は深くなる。たとえば門番が門のかたわらに立って人の出入りを見守れば、あちこち歩き回る必要がなく、心は安定できる。心を気息の出入の上に止めるのもこのようである。気息が出ていくときは、へそから始まって上へ次第に出て、心臓・胸・咽喉を経て、口と鼻端に至ること、気息が入ってくるときは、口と鼻端から始まって、咽喉に至り、胸・心臓を経て、最後にへそのところに至ることを知る。このように心を一処に繫留する。これを止息と名づける。
原文:复次心止法中住。观入息时五阴生灭异。出息时五阴生灭异。如是心乱便除却。一心思惟。令观增长。是名为观法。
舍风门住。离粗观法。离粗观法。知息无常。此名转观。观五阴无常。亦念入息出息。生灭无常。见初头息。无所从来。次观后息。亦无迹处。因缘合故有。因缘散故无。是名转观法。
解釈:復次、心は止息法の修行の中で観行の上に住すべきであり、入息のときの五陰の生滅と変異性を観察し、出息のときの五陰の生滅変異性を観察する。このようにすれば散乱した心念を除くことができ、さらに専心に思惟して、観行を次第に深めさせる。これを第四の観法と名づける。
気息の出入の処である口鼻のところを捨てて住息し、粗い観法を離れる。粗い観法を捨離したあとは、気息が無常であることを知る。これが第五の転観である。五陰の無常を観じ、入息と出息の生滅無常も念じ、前の最初の気息がどこからも来たるところがないことを見、さらに後の気息にも蹤跡を尋ねるべきところがないことを見る。いずれも因縁が和合してはじめて現れる出入息であり、因縁が散ればなくなってしまう。これが転観法である。
原文:除灭五盖及诸烦恼。虽先得止。观烦恼不净心杂。今此净法。心独得清净。复次前观异学。相似行道。念息入出。今无漏道。相似行善有漏道。是谓清净。
复次初观身念止分。渐渐一切身念止。次行痛心念止。是中非清净。无漏道远故。今法念止中。观十六行。念入出息。得暖法、顶法、忍法、世间第一法、苦法忍乃至无学尽智。是名清净。
解釈:修習を続け、禅定と観行がますます深まると、次第に貪欲・瞋恚・睡眠・掉挙・散乱の五蓋および諸煩悩を除滅する。以前に先に止を得てはいたが、煩悩を観じて不清浄な心念が雑染であった。今この清浄法を得て、心は清浄を得る。復次、以前の出入息の生滅変異を観察する修学方法は、相似の行道法であり、念頭は気息の出入の上にあって、まだ究竟しておらず、無漏に達していない。今修学する無漏道は、煩悩を降伏しており、相似の行道であり、善なる有漏道法である。これを第六の清浄門と名づける。
復次、初めに色身の不浄を観行し、心念を身念住に止めたあと、次第に色身が清浄であるという一切の心念が止まり、色身不浄観が成就する。さらに修行して心念を受覚の上に止め、受は苦であると観じるが、受覚もまた不清浄であり、無漏道からはまだ遠い。今法念処を修習して、心を止息させ、法無我を証得するには、十六の行相を観じ、次第に暖・頂・忍・世間第一法・苦法忍などを得て、四果無学の尽智を証得し、五陰の身を滅除する智慧があり、輪回を出て解脱を得るまでに至る。これが清浄の観法である。
原文:是十六分中初入息分。六种安那般那行。出息分亦如是。一心念息入出。若长若短。譬如人怖走上山。若担负重若上气。如是比是息短。若人极时。得安息欢喜。又如得利。从狱中出。如是为息长。一切息随二处。若长若短处。是故言息长息短。
解釈:この十六種の修行方法の中で、最初は念入息の方法であり、六種の阿那般那修行の次第があり、念出息のときにも六種の修行次第がある。最後に暖・頂・忍・世間第一法を得て、我見を断じて果を証する。修行の中で一心に気息の入と出を観察し、気息が長いか短いかを観察する。たとえば人が恐れて逃げるとき、山に登るとき、重い物を背負うとき、気息が下から上へ運行するときには、気息はいずれも短い。人が疲労の極に達して安息を得て心に歓喜するとき、あるいは利益を得て牢獄から釈放されたときのように、気息はいずれも長い。すべての気息は二処に随って存在し、長い処か短い処かである。それゆえ気息は二種に分かれ、息長と息短と言う。
原文:是中亦行安那般那六事。念诸息遍身。亦念息出入。悉观身中诸出息入息。觉知遍至身中乃至足指。遍诸毛孔。如水入沙。息出觉知。从足至发。遍诸毛孔。亦如水入沙。
譬如[夢-夕+棐]囊入出皆满。口鼻风入出亦尔。观身周遍。见风行处。如藕根孔。亦如鱼网。复次,心非独口鼻。观息入出。一切毛孔。及九孔中。亦见息入息出。是故知息遍诸身,除诸身行。亦念入出息。
解釈:気息を観察するときにも次第に従って六種の阿那般那法を修習し、一切の気息が全身に遍満していることを観察する。気息が出か入かを観察するときには、遍身中の出息と入息をすべて観察し、心の覚知も全身に行き渡らせなければならない。気息がどこまで運行しても覚知しなければならず、頭から足の指先まで全身のすべての毛穴を覚知しなければならない。水が砂の中に浸み込んで一粒一粒の砂を濡らすようである。気息が出ていくときにも覚知しなければならず、気息が足の指先から頭髪まで運行し、遍身のすべての毛穴に及ぶのを覚知しなければならない。水が砂の中に浸み込んですべての砂粒に及ぶようである。
たとえば一つの韛囊に風が入り出でて、いずれも韛囊を満たすように、口鼻の風の出入もこのように全身を満たす。遍色身の一切処に風の運行があることを観察すると、身体は蓮藕の根の孔のようであり、また漁網のようであり、風息は自由に出入りする。さらに、心念は口鼻のところだけで息の出入を観行するのではなく、全身のすべての毛穴の中と色身の九孔の中でも息出と息入を観行しなければならない。それによって気息が全身の一切処に遍満していることを知ることができる。身体が行為造作を止息したときにも、このときなお入出息の観行を続けなければならない。
原文:初学息时。若身懈怠睡眠体重。悉除弃之。身轻柔软。随禅定心受喜。亦念息入出。除懈怠睡眠心重。得心轻柔软。随禅定心受喜。复次入息念止中竟。次行痛念止。已得身念止。实今更得痛念止。实受喜。复次已知身实相。今欲知心心数法实相。是故受喜。亦念息入出爱乐。亦念息入出。是喜增长。名为乐。
解釈:初步的に数息法の六種の観行を修習するとき、もし色身が懈怠懶惰で、睡眠が多く、身体が重ければ、禅定が生じたときすべて修除棄捨できる。これらの状況がすべて除かれたあとは、睡眠の重いものは睡眠が減り、身体の重いものは軽霊になり、身体は軽く柔軟になり、禅定の増強に随って、心はますます軽安になり、ますます喜悦する。心念が息の出入に随うまで修到すれば、身体上の極めて重い懈怠懶惰と睡眠を除くことができ、心は軽く柔軟になり、禅定の深まりによって、内心はますます喜悦する。
復次、入息のとき身念が止息して身念住を得たら、さらに修習して入息のとき受覚を止息する。受念住を得て、すでに身念の寂止を得たので、今さらに受念止を修得すれば、内心は非常に喜悦する。身念止のとき、身の実相が空であることを知り、真実に喜悦を得る。復次、すでに色身の実相が何であるかを知ったので、今はいくつかの識心の実相を知りたい。それゆえ内心は喜悦を感受する。心念も息の入と出に随って愛楽を生じ、心念も息の出入に随って喜悦を増長させる。これが楽である。
原文:复次初心中生悦是名喜。后遍身喜是名乐。复次初禅二禅中乐痛名喜。三禅中乐痛名受乐。受诸心行。亦念息入出。诸心生灭法。心染法心不染法。心散法心摄法。心正法心邪法。如是等诸心相。名为心行。
解釈:復次、最初の禅定の中で心に愉悦が生じるのを喜と名づけ、のちに遍身に喜悦があるのを楽と名づける。復次、初禅と二禅の中の楽受を喜と名づけ、三禅の中の楽受を受楽と名づける。すべての一切の心行を感受でき、また気息の出入を観行し、種々の心行の生滅性を観行し、心の染汚性と不染汚性を観行し、心の散乱と集中を観行し、心が正か邪かを観行する。このような心相が心行である。
原文:心作喜时。亦念息入出。先受喜自生。不故作念。心故作喜。问曰。何以故故作喜。答曰。欲治二种心。或散心或摄心。如是作心。得出烦恼。是故念法心作喜。复次若心不悦。劝勉令喜。心作摄时。亦念息入出。设心不定。强伏令定。如经中说。心定是道。心散非道。
心作解脱时。亦念息入出。若意不解。强伏令解。譬如羊入苍耳。苍耳着身。人为渐渐出之。心作解脱。诸烦恼结亦复如是。是名心念止作解脱。
解釈:内心が喜悦するときにも気息の出入を観行しなければならない。先に感受した喜悦は自動的に生じたものであって、故意に作意して念を起こし、心に故意に喜悦を生じさせたものではない。ある人が問う:なぜ故意に喜悦を生じさせるのか。答曰:二種の心を対治するためである。一つは散乱心であり、一つは摂持心である。このように心を対治すれば、煩悩を修除できる。それゆえ息出息入法を念じれば、心に喜悦が生じる。復次、もし心が喜悦しないときには、自分を勧導して喜悦を生じさせるべきである。心念が集中するときにも息出息入を念じ、もし心が定まらないときには、強制的に圧伏して定まらせる。仏経の中に説かれるように、心定はすなわち道であり、心散はすなわち非道である。
心が解脱しようとするときにも、息出息入を念じる。もし内心が解脱したくないなら、強制的に降伏して心に解脱させる。たとえば羊が硬い刺のあるオナモミの草むらに入り、オナモミが身に絡みつくと、主人は少しずつ羊を草むらから引き出さなければならない。解脱を求めようとするとき、煩悩結が身心を繫縛するが、このように少しずつ身心を煩悩結縛の中から引き抜いていく。これを心念止息して解脱を求めるという。
原文:观无常亦念息入出。观诸法无常。生灭空无吾我。生时诸法空生。灭时诸法空灭。是中无男无女无人无作无受。是名随无常观。观有为法出散。亦念息入出无常。是名出散。诸有为法现世中出。从过去因缘和合故集。因缘坏故散。如是随观是名出散观。
解釈:無常法を観行するときにも、同時に息出息入を観察し、諸法の無常・生滅・空・無我を観行する。生じるとき、諸法の空相が出生し、滅するとき、諸法の空相が滅する。この生滅現象の中には、男相なく、女相なく、人相なく、作者なく、受者がない。これを随順無常観と名づける。有為法の出生と散滅を観じるときにも、息入息出の無常を観察しなければならない。これを出散観と名づける。
一切の有為法は現世の中に出生し、過去世の業因業縁が和合してはじめて現れるものであり、因縁が散壊するとき、一切の有為法は散る。このように随順して観行するのを、諸法の出生と散壊観と名づける。
原文:观离欲结。亦念息入出。心离诸结。是法第一。是名随离欲观。观尽亦念息入出。诸结使苦在在处尽。是处安隐。是名随尽观。观弃舍亦念息入出。诸染爱烦恼。身心五阴诸有为法弃舍。是第一安隐。如是观是名随法意止观。是名十六分。
解釈:自心が貪欲結を離れることを観行するときにも、息入息出を観察しなければならない。心に煩悩の諸結縛を捨離させる法門は、第一の法門である。これが随順離欲観である。諸煩悩結使が滅尽することを観行するときにも、息入息出を観察しなければならない。一切法の現行の中で、諸煩悩結使の苦受がすべて滅尽し、一切法の現行処がすなわち安穏処である。これを随順煩悩断尽処観と名づける。煩悩を棄捨することを観行するときにも、出息入息を観察しなければならない。五陰身心の煩悩を染愛する一切の有為法を棄捨するとき、これが第一の安穏である。このように観行するのを随法意止観法門と名づける。
以上に説いたのが十六種の観行法門である。