衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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観行五蘊我見断ち(第二部)

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年07月08日 閲覧数: 8

第四節 修道の功徳

原文:当知此中。由观察作意。于一切修道。数数观察。已断未断。如所得道。而正修习。又于此中。云何名修自性。云何名修业。云何名修。品类差别。谓由定地作意。于世出世。善有为法。修习增长。无间所作。殷重所作。令心相续。会彼体性。如是名为。修之自性。

釈:修道の過程においては、観察作意があるがゆえに、一切の修道の過程において、数数繰り返し、自らが既に断じた煩悩と未だ断じていない煩悩とを観察し、修すべき道の如くに、正しく如理に修習するのである。四聖諦の修習過程において、何を修自性と名づけるのか。何を修業と名づけるのか。何を修の品類差別と名づけるのか。禅定の中で作意して修習し、世出・世間の善なる有為法に対し、絶え間なく修習し、精進して修習し、無間断に善を行い、精勤して善を修め、心を相続不断に善法に住せしめ、心が善の体性と合致することをいう。これを修の自性と名づけるのである。

原文:当知修业。略有八种。一有一类法。由修故得。二有一类法。由修故习。三有一类法。由修故净。四有一类法。由修故遣。五有一类法。由修故知。六有一类法。由修故断。七有一类法。由修故证。八有一类法。由修故远。

釈:修業は大略八種ある。一に、ある類の法は修によって得られる。二に、ある類の法は修によって現前する。三に、ある類の法は修によって清浄となる。四に、ある類の法は修によって遣除される。五に、ある類の法は修によって証知される。六に、ある類の法は修によって断除される。七に、ある類の法は修によって証得される。八に、ある類の法は修によって遠離される。

原文:若先未得。殊胜善法。修习令得。名修故得。若先已得。令转现前。名修故习。若先已得。未令现前。但由修习。彼种类法。当令现前。令转清净。鲜白生起。名修故净。若有失念。染法现行。修善法力。令不忍受。断除变吐。名修故遣。

釈:もし先に殊勝なる善法を得ていなかったが、修習によって得たならば、修によって得ると名づける。もし先に既に善法を得ていたが、修習によって善法を現前せしめたならば、修によって現前すると名づける。もし先に善法を得ていたが、善法を現前せしめていなかったのに、修習によってその種類の善法を現前せしめ、より清浄ならしめ、鮮明白浄に生起せしめたならば、修によって清浄となると名づける。もし失念によって染汚法が生起したが、善法を修する力によって、心が染汚の法を耐え忍べず、染汚法を断除して吐き出したならば、これを修によって遣除されると名づける。

原文:若未生起。所应断法。修善法力。了知如病。深心厌坏。了知如痈如箭。障碍无常苦空。及以无我。深心厌坏。名修故知。如是知已。数修习故。无间道生。断诸烦恼。名修故断。烦恼断已。证得解脱。名修故证。如如进趣。上地善法。如是如是。令其下地已断。诸法转成远分。乃至究竟。名修故远。当知是名。八种修业。

釈:もし未だ生起していない、断ずべき法を、善法を修する力によって、病の如くに了知し、深く心に厭悪し、癰の如く、毒矢の如く、無常・苦・空・無我の智慧を障碍するものと了知し、深く心に厭悪したならば、これを修によって証知されると名づける。かくの如く断ずべき法の体性を了知した後、数数繰り返し修習するがゆえに、無間道が生じ、諸々の煩悩を断ずる。これを修によって断除されると名づける。煩悩を断じた後、解脱を証得する。これを修によって証得されると名づける。かくの如く進んで上地の善法に趣き、かくの如く下地の煩悩を断じせしめ、諸々の下地の法が自らより遠く離れたものとなり、乃至究竟して遠離するに至る。これを修によって遠離されると名づける。以上が八種の修業である。

原文:应知此修。品类差别有十一种。一奢摩他修。二毗钵舍那修。三世间道修。四出世道修。五下品道修。六中品道修。七上品道修。八加行道修。九无间道修。十解脱道修。十一胜进道修。

釈:行者はこの修習の品類と差別に十一种あることを知るべきである。一に、奢摩他(止・禅定)の修法。二に、毗鉢舎那(観・智慧)の修法。三に、世間道の修習。四に、出世間道の修習。五に、下品道の修習。六に、中品道の修習。七に、上品道の修習。八に、加行道の修習。九に、無間道の修習。十に、解脱道の修習。十一に、勝進道の修習。

原文:奢摩他修者。谓九种行。令心安住。如前已说。毗钵舍那修。亦如前说。世间道修者。谓于诸下地。见粗相故。于诸上地。见静相故。乃至能趣。无所有处。一切离欲。出世道修者。谓正思惟。苦真是苦。集真是集。灭真是灭。道真是道。由正见等。无漏圣道。乃至能趣。非想非非想处。一切离欲。

釈:奢摩他(止)の修習とは、九種の行によって心を安住せしめることであり、前に説かれた如くである。毗鉢舎那(観)の修習もまた前に説かれた如くである。世間道修とは、諸々の下地(欲界)において粗相を見、諸々の上地(色界・無色界)において静相を見るがゆえに、乃至無所有処に趣くことができ、一切の地において欲を離れ、世間に無礙なることをいう。出世間道修とは、苦諦は真に苦であると正思惟し、集諦は真に集であると正思惟し、滅諦は真に滅であると正思惟し、道諦は真に道であると正思惟することをいう。正見等の無漏の聖賢の道によって、乃至非想非非想処に趣くことができ、一切の地において欲を離れ、出世間道に無礙なることをいう。

原文:下品道修者。谓由此故。能断最粗。上品烦恼。中品道修者。谓由此故。能断所有。中品烦恼。上品道修者。谓由此故。能断所有。最后所断。下品烦恼。

釈:下品道修とは、この修のゆえに、最も粗重なる上品の煩悩を断ずることができることをいう。中品道修とは、この修のゆえに、すべての中品の煩悩を断ずることができることをいう。上品道修とは、この修のゆえに、すべての最後に断ずべき下品の煩悩を断ずることができることをいう。

原文:加行道修者。谓由此故。为断烦恼。发起加行。无间道修者。谓由此故。正断烦恼。解脱道修者。谓由此故。或断无间。证得解脱。胜进道修者。谓由此故。从是已后。修胜善法。乃至未起。余地烦恼。能治加行。或复未起。趣究竟位。当知是名。十一种修。品类差别。

釈:加行道修とは、この修のゆえに、煩悩を断ずるために加行を発起することをいう。無間道修とは、この修のゆえに、正しく煩悩を断じ、かつ永遠に断ずることを無間道という。解脱道修とは、この修のゆえに、無間に煩悩を断ずることができ、解脱を証得することをいう。勝進道修とは、この修のゆえに、これより以後、より勝れた善法を修し、乃至その余の諸地の煩悩も生起せず、能治と加行の法もまた生起せず、究竟の四正性離生の位に趣き、再び三界世間に生まれることがないことをいう。これが十一种の修の品類差別である。

原文:如是于修。勤修习者。于时时间。应正观察。所有烦恼。已断未断。于时时间。于可厌法。深心厌离。于时时间。于可欣法。深心欣慕。如是名为。摄乐作意。彼即于此。摄乐作意。亲近修习。多修习故。有能无余永断。修道所断烦恼。最后学位。喻如金刚。三摩地生。由此生故。便能永断。修道所断。一切烦恼。

釈:かくの如く修に対し、精勤して修習する者は、一切の時に、正しく観察すべきである。すべての煩悩が既に断じられたのか、未だ断じられていないのかを。一切の時に、厭うべき法に対し、深く心に厭離すべきである。一切の時に、欣ぶべき法に対し、深く心に欣喜し仰慕すべきである。かくの如くを摂楽作意と名づける。行者はこの摂楽作意に親近し修習し、多く修習するがゆえに、余すところなく永遠に修道所断の煩悩を断ずることができ、最後の学位が生じる。この位は金剛三摩地に喩えられる。最後の学位が生じるがゆえに、修道所断の一切の煩悩を永遠に断ずることができるのである。

この最後の学位は第三果の位である。初果・二果・三果は有学位であり、第三果の有学位において一切の煩悩を断じ尽くし、第四果の無学位を証得する。これより以後は修すべき法なく、断ずべき煩悩もなく、無学と名づける。

原文:问。何因缘故。此三摩地。名金刚喻。答。譬如金刚。望余一切。末尼真珠。琉璃螺贝璧玉。珊瑚等诸珍宝。最为坚固。能穿能坏。所余宝物。非余宝物。所能穿坏。如是此三摩地。于诸有学。三摩地中。最上最胜。最为坚固。能坏一切。所有烦恼。非上烦恼。所能蔽伏。是故此三摩地。名金刚喻。

釈:問う。いかなる因縁によって、この三摩地は金剛喩と名づけられるのか。答える。譬えば金剛は、一切の摩尼・真珠・琉璃・螺貝・璧玉・珊瑚等の諸々の珍宝に対し、最も堅固であり、他の一切の宝物を穿ち壊すことができるが、他の宝物によって穿ち壊されることはない。かくの如く、この三摩地は、すべての有学の三摩地の中において、最上・最殊勝・最堅固であり、一切の煩悩を破壊することができ、いわゆる上煩悩も蔽い伏せることはできない。それゆえに、この三摩地は金剛をもって喩えとするのである。

初果から第三果までは有学位である。未だ煩悩の漏れが断じ尽くされておらず、修すべき法があるため、煩悩が未だ断じ尽くされていないか、あるいは煩悩を断じておらず、修学すべきものがある。煩悩を断じ尽くすと第四果の阿羅漢となる。もはや漏れも煩悩も断ずべきものはなく、修すべき法もなく、解脱道の諦理を修学する必要もなく、最後の清浄に達し、三界世間の諸有から解脱したので、無学と称する。しかし第三果まではそうではない。第三果において証得する三摩地は初果・二果よりも勝れており、最も堅固であり、金剛三摩地と名づけられる。

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