観行五蘊我見断ち(第二部)
第十章 瑜伽師地論第三十四巻(四諦相)
第一節 如何明瞭苦諦相
原文:若し楽んで世間を出づる道に趣かば、当に依止すべし四聖諦の境を。漸次に生起す七種の作意を。所謂最初の了相作意。最後の加行究竟果作意。乃至証得す阿羅漢果を。瑜伽を修する師は、四聖諦に於いて略標し広弁す増上教法を。聴聞受持す。或は作意に於いて已に善く修習せり。或は根本を得たり静慮無色を。
釈:もし修行人が楽しんで世間を出る道に向かうならば、四聖諦の境界に依止し、次第に七種の作意を生起すべきである。この七種の作意とは、最初の了相作意、後の勝解作意、遠離作意、摂楽作意、観察作意、加行究竟作意、及び最後の加行究竟果作意であり、阿羅漢果を証得するに至る。瑜伽を行ずる行者は四聖諦の理について大略的に触れ、広く増上教法を弁証し、聴聞受持する。彼らは或いは如理作意について既に善く修習しているか、或いは根本静慮(四禅八定)を得て、無色界定に達している。
この文は大略的に凡夫から四果阿羅漢に至る修学の内容と次第、或いは過程を示している。衆生が世間の苦を解脱し涅槃の楽を証得しようと願うならば、四聖諦を修学すべきである。四聖諦を修行する過程においては七種の作意を生起せねばならない。所謂る作意とは、注意、関心、心を向けること、心の趣く所を指し、また観行、観察をも指す。作意が異なれば趣く所も異なり、果も異なる。最後に加行究竟果作意を生起して初めて究竟果を得、阿羅漢果を証得し解脱を得て世間を出るのである。
原文:四種の行によりて苦諦相を了る。謂わゆる無常行。苦行。空行。無我行なり。四種の行によりて集諦相を了る。謂わゆる因行。集行。起行。縁行なり。四種の行によりて滅諦相を了る。謂わゆる滅行。静行。妙行。離行なり。四種の行によりて道諦相を了る。謂わゆる道行。如行。行行。出行なり。是の如きを名づけて了相作意と為す。
釈:四聖諦を修習するには、四種の行において苦諦相を明らかにする:無常行、苦行、空行、無我行。四種の行において集諦相を明らかにする:因行、集行、起行、縁行。四種の行において滅諦相を明らかにする:滅行、静行、妙行、離行。四種の行において道諦相を明らかにする:道行、如行、行行、出行。これらの法を合わせて了相作意と名付ける。
この段は四聖諦の大略的な修行内容を紹介している。各諦の修学には四種の行が含まれ、合わせて十六行となり、四諦十六行と呼ばれる。
原文:十種の行によりて苦諦を観察し、能く随順して苦諦の四行を悟入す。何等を十と為すや。一に変異行。二に滅壊行。三に別離行。四に法性行。五に合会行。六に結縛行。七に不可愛行。八に不安隠行。九に無所得行。十に不自在行。是の如き十行は証成道理に依りて能く正しく観察す。
釈:十種の行において苦諦を観察し、苦諦の四行に随順して悟入することができる。どの十種か? 一は変異行、二は滅壊行、三は別離行、四は法性行、五は合会行、六は結縛行、七は不可愛行、八は不安隠行、九は無所得行、十は不自在行である。このような十種の行は証成道理に依って正しく観察できる。
この段は十種の行を紹介し、十種の行で苦諦を観察して初めて苦諦の四行を悟入し、最後に四行によって苦諦を証得できるとしている。
原文:此の中に且く至教量理に依る。世尊の説きたまうが如く「諸行は無常なり」と。又此の諸行は略して二種あり。一には有情世間。二には器世間なり。世尊は彼の有情世間に依りてかくの如く説きたまう「苾芻よ、知るべし。我は人の過ぐる清浄なる天眼を以て、諸の有情の死時生時を観る」と。広く説いて乃至「身壊れたる後、当に善趣、天の世界の中に生ずべし」と。此の法門によりて世尊は以て浄天眼をもって現見す一切の有情世間は無常性なりとを顕示す。
釈:苦諦を観察するには世尊が説かれた至教量の理に依るべきである。例えば世尊の説かれた諸行無常の理。諸行無常は即ち苦であり、諸行無常を観行することは即ち苦諦と苦集諦を観行することである。仏は諸行無常の「行」には大略二種あると説かれた:一つは有情世間、二つは器(無情)世間である。仏は「我は人類を超えた清浄な天眼をもって、諸有情の死ぬ時と生まれる時を観る。広く説けば身が壊れた後、善趣の天世界に生まれるであろう」と説かれた。この法門は世尊が浄天眼をもって現見する一切有情世間が無常性であることを示している。
この段から、世尊は具体的に諸行無常を開示し始められる。「行」とは生住異滅のある法を指し、生住異滅が可能なものは全て「行」である。一切の行を諸行と名付け、諸行は全て無常である。なぜなら生住異滅の現象があるからである。これらの現象を世尊は清浄な天眼をもってことごとく見られる。仏は如何なる法を見るにも、世間と出世間の一切法は全て現見であり、比量思惟や非量の憶測はない。智慧が究竟円満であるが故である。衆生の見る法は現量、比量、非量の三種に分かれるが、仏は完全に現量である。衆生はそうではない。器世間の無常については長阿含経の起世因縁経に説かれる器世間の生住異滅を参照すべきである。
原文:又世尊は説きたまう「苾芻よ、知るべし。此の器世間は長時に安住す。是を過ぎたる後、漸次に乃至七日輪現ず」と。七日経に広説するが如く、乃至「所有の大地、諸山大海、及び蘇迷盧の大宝山王、乃至梵世の諸器世界は皆な焼かれる」と。災火滅したる後、灰燼も現れず、乃至余影も亦た得べからず。此の法門によりて世尊は諸器世間は無常性なりとを顕示す。是の如く且く至教量理に依る。観を行ずる者は、浄信増上の作意力の故に、一切の行の無常の性に於いて決定を得。決定を得たる已、即ち是の如き浄信増上の作意力の故に、数数に尋思し観察す。一切は現見にして背かず、他縁に由らず。
釈:世尊は起世因縁経において「比丘たちよ、汝らは知るべきである。娑婆世界というこの器世間は今なお長く安らかに住んでいるが、この時を過ぎると、次第に二つの太陽、三つの太陽、ついには七つの太陽が現れる。七日経に説かれるように、この時器世間のすべての大地、諸山、大海、及び欲界天の須弥山、さらには色界のすべての器世間は全て焼き尽くされる。火災が過ぎ去った後は灰さえも消え失せ、いかなる影も見いだせなくなる」と説かれた。
世尊が説かれたこれらの事は、一切の器世間の無常性を示している。世尊の開示を聞き、世尊の説かれた至教量の理に依止して、観を行ずる修行者は諸行無常に対する浄信が増上し、諸行無常に作意する力が強まる。そこで一切行の無常の性について決定を得る。心得が決定した後、更にこの浄信増上の作意力によって、絶えず諸行無常性を尋思観察すれば、諸行の無常性が現見され、至教量の理に背かない。この現見は他の因縁によって示されたものではなく、如実の観察による自心の現見である。
諸行無常を観察するには浄信力に依る必要がある。世尊の説かれる諸行無常を信じ、心を清浄にして他を思わない。浄信があるからこそ作意して諸行無常性を観察尋伺できる。もし浄信がなく諸行無常を信じなければ、作意して観察しようとしない。観察は自心の現見である。現見でなければ現前観察とは言わない。自心現見は現量観察、現量所証とも言う。「現」は現前存在、真実存在の意味であり、思惟想像で補ったものではない。修行者は世尊の諸行無常という至教量理を熏習し、禅定の中で諸行の無常性を観察し、縁が熟せば諸行が確かに無常であることを現見し、続いて苦諦を実証する。諸行が苦であると現見するゆえに、もはや苦を受けようとせず、苦を滅する願いが生じるのである。
原文:無常の性を如何にして数数に尋思し観察すべきや。謂わく先ず安立す内外二事を。内事と謂うは六処等を謂う。外事と謂うは十六種有り。一には地事。城邑聚落、舎市廛等を謂う。二には園事。薬草叢林等を謂う。三には山事。種種の山、安布の差別を謂う。四には水事。江河陂湖、衆流池沼を謂う。五には作業事。六には庫蔵事。七には食事。八には飲事。九には乗事。十には衣事。十一には荘厳具事。十二には舞歌楽事。十三には香鬘塗飾事。十四には資生具事。十五には諸光明事。十六には男女承奉事。是の如きを名づけて十六種の事と為す。
釈:諸行無常の性を如何に絶えず尋思観察するか? まず五陰身の内外二事を安立する。内事とは眼耳鼻舌身意の六処等である。外事とは衣食住などの十六種:第一は地事、城邑、部落、舎宅、交易場所などを含む。第二は園事、薬、草木、花を植える場所を含む。第三は山事、高山、丘陵など大小異なる山を含む。第四は水事、河川、海、湖、池など水が集まる場所を含む。第五は作業事。第六は庫蔵事。第七は飲食の事。第八は飲水の事。第九は車乗の事。第十は衣服の事。第十一は荘厳具事。第十二は歌舞音楽の事。第十三は香花塗鬘装飾の事。第十五は光明照耀の事。第十六は男女承奉事(男女の奉仕・交わり)。
これらの事は全て世俗界の無常の事である。これらの法が無常であるのは、全てが有為造作された生住異滅の法であり、生じた後は念々に留まらず絶えず変異し、ついには滅びるからである。衆生は小さい時から大きくなるまで常にこれらの無常事を行っているが、無常と感じない。至教量理を修習した後は、意識では容易にこれらの事の無常性を理解できるが、意根が愚鈍で容易に受け入れない。それ故に戒定慧を修習し、禅定の中で観行し、最後に無常性を証得する必要がある。証得とは現見、即ち法の無常性が現前に観察されたことを指す。意識の思惟や理解によるものではなく、無常性が明瞭に現れ、信服せざるを得ず、直ちに受け入れることが証得である。そして三昧が現れ、内心は法の無常を感知する状態に安住して動揺しない。
原文:是の如く安立する已、復た彼の事に於いて現見増上の作意力の故に、以て変異行によりて尋思し観察す無常の性を。此の中に内事には十五種の所作する変異有り。及び八種の変異因縁有り。何をか内事に十五種の所作する変異有りと為すや。一に分位の所作する変異。二に顕色の所作する変異。三に形色の所作する変異。四に興衰の所作する変異。五に支節具不具の所作する変異。六に劬労の所作する変異。七に他所損害の所作する変異。八に寒熱の所作する変異。九に威儀の所作する変異。十に触対の所作する変異。十一に雑染の所作する変異。
釈:これらの内外事を安立した後、更にこれらの事を現見できるようにするため、法を見る作意力を強化し、諸法の変異という角度から内外事の無常性を尋思観察する。その中で内事には十五種の変異があり、八種の変異の因縁がある。内事にはどの十五種の変異があるか? 一つは色身が異なる時期にある分位の変異。二つは顕色に現れる変異、例えば肌色の白黒赤黄など。三つは形色に現れる変異、例えば背の高低、肥満痩身など。四つは色身の興衰に現れる変異、例えば力があるかないかなど。
六つは労作に現れる変異、例えば疲労と非疲労など。七つは人に害されることに現れる変異、例えば人に虐げられる、誣告される、誹謗される、名声を損なわれるなど。八つは寒熱に現れる変異、例えば発熱、寒気など。九つは威儀進止に現れる変異、例えば色身がだらしない、猫背、動作が不便など。十つは接触する対象に現れる変異、例えば接触する人事物の変動や変化。十一つは雑染心のなす事に現れる変異、例えば善悪業の転変。十二つは身体の疾病に現れる変異、元は健康であったが病苦が現れるなど(注:原文に十二番目は明記されていないが文脈上補う)。十三つは死亡に現れる変異、生命が終わる。十四つは死後身体に青淤腫脹の変異が現れる。十五つは死後死体が消え失せ、骨灰も跡形もなくなる変異。
原文:何をか八種の変異因縁と為すや。一に積時貯畜。二に他所損害。三に受用虧損。四に時節変異。五に火所焚焼。六に水所漂爛。七に風所鼓燥。八に異縁会遇。
積時貯畜と謂うは、有色の諸法、好処に安置守護せらるると雖も、久時を経て自然に敗壊し、其の色衰損し変異を得べしとを謂う。他所損害と謂うは、種種の色法、若し他に於いて種種に捶打せられ、種種に損害せらるれば、即ち種種の形色変異を成すとを謂う。受用虧損と謂うは、各別に属主する種種の色物、受者が受用する増上力の故に損減変異すとを謂う。
釈:何が八種の変異因縁か? 一つは積時貯畜。二つは他所損害。三つは受用虧損。四つは時節変異。五つは火所焚焼。六つは水所漂爛。七つは風所鼓燥。八つは異縁会遇。
積時貯畜の意味は、色相のある諸法は、適切な場所に保存されていても、長い時を経ると自然に壊れ、その色相に衰損変異の現象が現れることである。他所損害の意味は、種々の色法が他人に様々な方法で殴打され、様々に損害されると、様々な形色の変異が生じることである。受用虧損の意味は、それぞれの使用者に属する種々の有色物質が、使用者による絶え間ない使用によって摩耗変異が現れることである。
原文:時節変異と謂うは、秋冬の時、叢林薬草、華葉果等、萎黄零落す。春夏の時、枝葉華果、青翠繁茂すとを謂う。火所焚焼と謂うは、大火縦逸し、村邑を焚焼し、国城王都、悉く灰燼と為るを謂う。水所漂爛と謂うは、大水洪漫し、村邑を漂蕩し、国城王都、悉く淪没すとを謂う。風所鼓燥と謂うは、大風飄扇し、湿衣湿地、稼穡叢林、干韅革日枯槁すとを謂う。
釈:時節変異の意味は、秋冬の季節に、林の中の薬草、花、葉、果実などが萎れて黄色くなり落ちること。春夏の季節には、林、薬草、枝葉、花果が再び生長し、青々と茂ることである。火所焚焼の意味は、大火が燃え上がり、村や集落を焼き払い、国の城や王宮が灰になることである。水所漂爛の意味は、大水が広がり、村や集落を水没させ、国の城や王宮が洪水に流されることである。風所鼓燥の意味は、大風が吹き荒れる時、湿った衣服や土地、作物や林が乾燥し、枯れていくことである。
原文:異縁会遇と謂うは、楽受触に縁り楽受を受くる時、苦受触に遇う。苦受触に縁り苦受を受くる時、楽受触に遇う。不苦不楽受触に縁り不苦不楽受を受くる時、楽受触或いは苦受触に遇うとを謂う。又貪有る者は会遇して瞋に縁る。貪纏止息して瞋纏を発起す。是の如く瞋痴有る者は会遇して異分に、煩悩生縁す。当に知るべし亦た是の如し。是の如く眼識正に現在前にして会遇す声香味触境等に。是を名づけて八種の変異因縁と為す。一切の有色及び無色の法の所有する変異は皆な是の如き八種の因縁に由る。此を除き更に無し。若し過ぐるも若し増すも。
釈:異縁会遇の意味は、縁が変わることである。楽受の触対に縁って、楽受を受けるべき時に苦受の触に遇う。苦受の触に縁って苦受を受けるべき時に楽受の触に遇う。不苦不楽受の触に縁って不苦不楽受を受けるべき時に、楽受の触または苦受の触に遇う。また、貪心の者が瞋の縁に遇い、こちらで貪の煩悩の纏縛が止息すると、あちらで瞋の煩悩の纏縛が生じる。このように瞋や痴のある者が、非瞋非痴の煩悩が生じる縁に遇うのも同じである。同様に、眼識が現前する時には声香味触の境界縁に遇う。これが八種の変異因縁である。
ここでの「異」は変化の意味である。遇う縁が変われば、因も変わり、果も変わる。因縁の変異は大まかにこの八種に分けられるが、細かく分ければ多いかもしれない。縁が変わるから無常であり、果が変わるから無常でもある。因縁の変異によって無常が完全に十分に示される。
原文:如何にして尋思す内事分位の所作する変壊無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、少年の位より乃至老位に、諸行相続し前後差別して互いに相似せずと。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。何を以っての故に。此の内分位の前後変異は現に可得なるが故に。
釈:色身の分位に現れる壊れる無常の性を如何に観察するか? 自分または他人が少年期から老年期に至るまでの間に、諸行が相続して変異し、前後の現象に相似点がないことを観察する。これらの現象を観察した後、心にこのような観念を持つべきである:「これらの諸行はその性が確かに無常である」。なぜこの結論に至るのか? 色身における内分位で、小から老への前後の変化と差異が、確かに現前に観察できるからである。
原文:如何にして尋思す内事顕色の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、先に妙色有り、肌膚鮮澤なり。後に悪色を見る、肌膚枯槁す。復た後時に還って妙色を見る、肌膚鮮澤なりと。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。何を以っての故に。此の内顕色の前後変異は現に可得なるが故に。
釈:内身事における眼識の見る顕色(視覚対象の色)において現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人が元は美しい肌色で、肌が若々しく潤っていたが、後には肌色が悪くなり、枯れて潤いがなくなり、しばらくしてまた色艶が良く潤っているのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。なぜそう言えるのか? 身内の顕色の前後の違い、変異無常が現前に観察できるからである。
原文:如何にして尋思す内事形色の所作する変異無常の性を。謂わく顕色を説くが如く、是の如く形色は肥瘦の故に応に知るべし亦た是の如しと。如何にして尋思す内事興衰の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、先時眷属財位、或いは見るに悉く皆興盛す。後に一切を見るに悉く皆衰損す。復た後時に還って興盛を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。何を以っての故に。興衰変異は現に可得なるが故に。
釈:内身事における形色(形状)に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 観察された顕色と同様に、形色の肥満痩身についても同じ道理である。内身事における興衰に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人の以前の家族や財産、地位が、ある時は全て栄えているのを見、後には全て衰えているのを見、更に後にはまた栄えているのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。なぜか? 家財眷属の興衰変異が現前に観察できるからである。
原文:如何にして尋思す内事支節の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、先時支節、缺減無し。後時観見するに支節缺減す。或いは王の所作。或いは賊の所作。或いは人の所作。或いは非人の作すと。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:内身事における肢節(手足などの部分)に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人の肢節が以前は欠損しておらず、後には欠損しているのを見る。このことは王の罰によるか、賊寇の略奪によるか、他人によるか、非人(人間以外の存在)によるかである。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という観念が現れる。
原文:如何にして尋思す内事劬労の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、身の疲労性、身の疲極性。或いは馳走の所作。或いは跳踊の所作。或いは趒躑の所作。或いは騙騎の所作。或いは種種の迅疾なる身業を作す。復た余時に彼の疲労疲極を離るるを見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:内身事における身体の労苦によって現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人の身体の疲労性、身体の極度の疲労が、速く走ることによるか、跳躍によるか、繰り返し跳びはねるによるか、馬に乗るによるか、様々な速い身行によるかを観察し、その後その極度の疲労が無くなり消え去るのを見る。これらの現象を観察した時、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という観念が生じる。
原文:如何にして尋思す内事他所損害の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、他所に損害せられ、其の身変異す。或いは刀杖鞭革、皮縄矛槊等に由って壊さる。或いは種種の蚊虻蛇蝎、諸の悪毒触の損害する所と為る。復た余時に不変異を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:内身事における人に害されることによって身体に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人が人に害され、身体に変異が生じ、刀や杖で打たれる、革の鞭で打たれる、丈夫な縄や矛、矢などで壊されるか、様々な蚊、虻、蛇、蠍などの毒に害されるが、後に身体が治り、変異現象が無くなるのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行は確かに無常である」という観念が生じる。
原文:如何にして尋思す内事寒熱の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、正に寒き時、身舒泰ならず、踡局戦慄し、寒凍纏逼し、温陽に遇わんことを希う。正に熱き時、身体舒泰なり、身を奮い干語し、霡霂流汗し、熱渴纏逼し、清涼に遇わんことを希う。復た寒き時に至りて還って前に説くが如き相状を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:内身事における寒熱によって現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人が特に寒い時、身体が非常に不快で、体を丸めて震え、寒さに迫られ、温かい日光を望むのを見る。または特に暑い時、身体が開き、全身が熱く、口が乾き、汗が雨のように流れ、熱くて喉が渇き、涼しさを望むのを見る。その後、寒い季節になると、再び前述の現象や状態を見る。これらの現象を観察し、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という観念が生じる。
原文:如何にして尋思す内事威儀の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、行住坐臥、随一の威儀、或いは時に為に損し、或いは時に為に益すと。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:内身事における四威儀(行・住・坐・臥)に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人が行住坐臥する時、一つの威儀において、時には減退し、時には増進するのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という観念が生じる。
原文:如何にして尋思す内事触対の所作する変異無常の性を。謂わく触対するに順楽受触に、楽触縁の生ずる所の楽を受くる時、自ら能く了別す楽受分位を。能く了別するが如く楽受分位を、是の如く了別す苦受分位、不苦不楽受分位を応に知るべし亦た是の如しと。彼は了別するに是の如き諸受の前後変異は是れ新新の性にして故故の性に非ず、或いは増し或いは減じ、暫時にして有り、率爾として現前にして尋で即ち変壊すと。是の事を知る已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。
釈:内身事における触対(接触)の際に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 順心の楽受触に触れ、楽触の縁によって生じた楽受を受ける時、自然に楽受の分位(状態)を了別できる。楽受の分位を了別できるのと同様に、苦受の分位もそうであり、不苦不楽受の分位も同じである。この三種の受の前後の変異、受が絶えず更新変化し、最初のままではなく、三種の受が時には増え、時には減り、様々な受は一時的で突然現れ、まもなく消滅するのを了別する。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す内事雑染の所作する変異無常の性を。謂わく能く了知す先に生起せる或いは貪心有り、或いは貪心を離る。或いは瞋心有り、或いは瞋心を離る。或いは痴心有り、或いは痴心を離ると。又能く了知す随一一種の諸随煩悩の染污する心を。又能く了知す随一一種の諸随煩悩の染污せざる心を。又能く了知す彼の心相続は諸煩悩及び随煩悩に由って前後の位に趣入して変壊せず不変壊せずの性を。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。何を以っての故に。心は雑染に由る所作の変異は現に可得なるが故に。
釈:内身事における雑染(煩悩による汚れ)によって生じる変異無常の性を如何に観察するか? 以前に生じた雑染心、すなわち貪心があるか貪心がないか、瞋心があるか瞋心がないか、痴心があるか痴心がないかを了知できる。また、それぞれの随煩悩によって生じる染污心を了知し、それぞれの随煩悩によって生じる不染污心も了知できる。また、雑染心が相続して、諸煩悩及び随煩悩によって前後順次に変壊と不変壊の性に入るのを了知する。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。なぜか? 心が雑染によって生じる変異が現前に観察できるからである。
原文:如何にして観察す内事疾病の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、或いは自ら或いは他、先に疾病無く、安楽強盛なり。後時観見するに或いは自ら或いは他、重き病苦に遭い、猛利なる身の諸苦受に触対す。前に広説する如し。復た余時に還って疾病無く、安楽強盛なりと見る。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。
釈:内身事における病気によって現れる変異無常の性を如何に観察するか? 自分や他人が以前は病気がなく、心身安楽で強健であったが、後には自分や他人が重い病苦に遭い、非常に苦しみ、更に後には自分や他人がまた病気でなくなり、心身安楽で強健になるのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す内事終歿の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、今時存活し安住支持す。復た余時に観見するに死没して唯だ尸骸有り、空しく心識無しと。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。如何にして観察す内事青瘀等の所作する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、死したる已の尸骸、或いは一時に青瘀位に至る。或いは一時に膿爛位に至る。是の如く乃至骨鎖の位に至る。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。
釈:内身事における死亡に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 他人が当時は生きており、安らかに住世しているのを見、後にその者が死亡し、死体だけが残り心識がなくなっているのを見る。この現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。内身事における死体の青淤などの位に現れる変異無常の性を如何に観察するか? 死んだ死体が一時に青淤腫脹の現象を呈し、一時に死体が腫れ爛れる現象を呈し、最後には骨の山だけになるのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す内事一切不現尽滅の所作変壊無常の性を。謂わく由るに観見するに、彼は余時に於いて此の骨鎖位も亦た復た現れず、皆悉く敗壊し離散磨滅し、遍く一切種、眼は復た見ずと。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。何を以っての故に。是の如き色相は数数改転し前後変異して現に可得なるが故に。
釈:内身事における一切の法が現れず、全て滅尽したことによって現れる壊れる無常の性を如何に観察するか? 身体が後に残った骨も無くなり、全てが壊れ、散り失せ、磨り減り、あらゆる物質が目に見えなくなるのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。なぜそう言えるのか? 死後の死体の色相が絶えず変換し、前後の変異現象が現前に観察できるからである。
原文:是の如く且く現見増上の作意力に由る。十五種の行を以て観察す内事の種種変異無常の性を。観察し已、復た更に観察す十六の外事の種種変異無常の性を。如何にして観察す地事変異無常の性を。謂わく由るに観見するに、此の地方所、先に未だ造立せず道場、天寺宅舎、市廛城牆等の事。後に新造を見る、善く作し善く飾る。復た余時に彼の朽故圮坴、零落頽毀穿缺、火の焚焼する所、水の漂蕩する所を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。何を以っての故に。是の如き色相の前後転変は現に可得なるが故に。
釈:このように、現量所見の増上作意力によって、十五種の内事の種々の変異無常の性を観察し、その後十六種の外事の種々の変異無常の性を観察する。如何に地事の変異無常の性を観察するか? この地の場所が以前は道場、寺院、舎宅、市場、城壁などを建造しておらず、後にそこに新たにこれらの建造物が建てられ、更に後にはそれらの建造物が古くなり崩壊したか、朽ち落ちて荒廃したか、火で焼かれたか、水に流されたかを見る。これらの事を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。なぜそう言えるのか? その色相の前後の転変が現前に観察できるからである。
原文:如何にして観察す園事変異無常の性を。謂わく先に観見するに諸園苑中の薬草叢林、華果枝葉、悉く皆茂盛し、青翠丹暉、甚だ愛楽すべし。復た後時に彼の枯槁し諸の華果無く、柯葉零落し、火の焚焼する所、水の漂蕩する所を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に園林の変異無常の性を観察するか? 以前、すべての園林の中の薬草、林、花果、枝葉が全て茂り、青々とした葉と赤い花がとても可愛らしいのを見、後にそれらの植物が枯れ果て、もはや花果がなく、葉が落ち、火で焼かれたか水に流されたかを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す山事変異無常の性を。謂わく一時に於いて其の山の叢林蓊鬱、聳石巉巌を見る。復た一時に彼の叢林巉巌聳石の彫残頽毀し高下参差し、火の焚焼する所、水の漂蕩する所を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に山岳山脈の変異無常の性を観察するか? ある時に山の木々が茂り、岩が林立して雲に届くのを見、後のある時にその林が茂った岩山が凋み崩れ、崩れ落ちそうで凸凹し、火で焼かれたか水に流されたかを見る。これらの事を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す水事変異無常の性を。謂わく先一時に諸の河渎、池泉井等の濤波涌溢、醴水盈満を見る。後一時に彼の一切の枯涸干竭を見ると。是の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。如何にして観察す業事変異無常の性を。謂わく先一時に彼の種種の殉利牧農、工巧正論、行船等の業、皆悉く興盛なりを見る。復た一時に彼の事業の皆悉く衰損すを見ると。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に河川などの変異無常の性を観察するか? 以前のある時に諸河川、泉、池、井戸などで水が波立って溢れ、甘い水が満ちているのを見、後のある時にすべての河川や泉が枯れ果てて干上がっているのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。如何に営む業用の変異無常の性を観察するか? 以前のある時に世俗の利益を求める農牧業、建築科学の様々な技術、世間での正当な演説討論、船舶運輸業などが皆栄えているのを見、後のある時にそれらの事業が全て衰えているのを見る。これらの現象を観察した後、心に「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す庫蔵変異無常の性を。謂わく由るに観見するに種種の庫蔵、一時盈満し、一時滅尽すと。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。如何にして観察す飲食変異無常の性を。謂わく由るに観見するに種種の飲食、一時未だ辦ぜず、一時已に辦ず。一時入口し、歯牙咀嚼し、涎唾を和雑し、細細に吞咽す。一時入腹し、漸漸に消化す。一時変じて屎尿と為り流出すと。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に庫蔵の変異無常の性を観察するか? 種々の庫蔵がこの時は満ち、あの時は消え尽きるのを見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。如何に飲食の変異無常の性を観察するか? 種々の飲食が、この時はまだ調理されていないが、あの時は調理されているのを見る。この時は口に入れ咀嚼され、唾液と混ざり合いゆっくり飲み込まれ、あの時は飲食が腹に入り消化され、そして糞尿に変わり排泄されるのを見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す乗事変異無常の性を。謂わく一時に種種の乗の新妙荘厳、甚だ愛楽すべきを見る。復た一時に彼の朽故、諸の荘飾を離るるを見ると。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。如何にして観察す衣事変異無常の性を。謂わく由るに観見するに種種の衣服、一時新成し、一時故壊す。一時鮮潔なり、一時垢膩なりと。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に車乗の事の変異無常の性を観察するか? ある時に種々の車乗がまだ新しく、とても美しく荘厳で人に愛されるのを見、別の時にそれらの車乗が腐り衰え、美しくも荘厳でもなくなっているのを見る。これらの現象を観察し、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。如何に衣服の事の変異無常の性を観察するか? 種々の衣服が、この時は新しく作られたばかりで、あの時は古くなり壊れ、この時は新鮮できれいで、あの時は汚れだらけになっているのを見る。これらの現象を観察し、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す荘厳具変異無常の性を。謂わく由るに観見するに諸の荘厳具、一時未成、一時已成。一時堅固、一時破壊と。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。如何にして観察す舞歌楽事の所有する変異無常の性を。謂わく由るに観見するに舞歌伎楽、現在の種種の音曲差別、異起異謝すと。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に荘厳の具の変異無常の性を観察するか? 種々の荘厳の具が、この時はまだ作られていないが、あの時は完成し、この時は丈夫で、あの時は壊れているのを見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。如何に歌舞伎楽の事の変異無常の性を観察するか? 演奏中の歌舞伎楽が、様々な音声や曲調の違いがあり、この時は起こりあの時は滅するのを見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す香鬘塗飾の所有する変異無常の性を。謂わく先に観見するに種種の香鬘、鮮栄芬馥なり。後時に彼の萎悴臭爛を見ると。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。如何にして観察す資具変異無常の性を。謂わく彼の未だ造らざる已に造り、成満し破壊する前後変異を見ると。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に香鬘塗飾の所有する変異無常の性を観察するか? 現前に種々の香鬘が華やかで美しく、香りが漂っているのを見、後に香鬘が萎れて黄色くなり、腐って臭うのを見る。これらの現象を見て、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。如何に資生の具の変異無常の性を観察するか? 資生の具が以前はまだ作られておらず、後に作られ、使われた後壊され、前後絶えず変異するのを見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:如何にして観察す光明変異無常の性を。謂わく由るに観見するに種種の明闇、生滅変異すと。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。如何にして観察す男女承奉の所有する変異無常の性を。謂わく彼の或いは衰え或いは盛んにして、久しく堅住せずとを見る。此の事を見たる已、便ち是の念を作す「是の如き諸行は其の性無常なり」と。余は前に説くが如し。
釈:如何に光明の変異無常の性を観察するか? 様々な明暗の生滅変異を見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。如何に男女が互いに恩愛を交わすことの変異無常の性を観察するか? 男女の恩愛が盛んから衰え、衰えから盛んになり、長く続かないのを見る。これらの現象を観察した後、「このような諸行はその性が確かに無常である」という念いが生じる。
原文:是の如く一切の外事諸行、前の六種は是れ摂受事、後の十種は是れ身資具事なり。要を以って之を言わば、当に其の性は皆な無常なるを知るべし。何を以っての故に。形相転変は現に可得なるが故に。是の如き等の前に説く所に由る。
釈:このように一切の外事諸行は、前の六種は五陰身が摂受する事であり、後の十種は身体に必要な資具の事である。要するに、これらの法はその性が全て無常である。なぜそう言えるのか? これらの法の形と相の転変が現前に観察できるからであり、前に具体的に述べた通りである。
原文:諸の変異行は現見増上の作意力の故に、内外事に於いて其の応く所に如く以て変異行を以て観察す一切は是れ無常性なりと。此の因縁に由りて諸の変異無常の性に於いて現見して背かず、他縁に由らず、他に引かるるに非ず。随念観察して審諦に決定す。即ち是の如く説く所の因縁に由りて名づけて現見増上作意と為す。即ち是の如く現見増上の作意力の故に、変異無常性を観察し已、彼の諸の色行は復た現に有りと雖も、刹那生滅、滅壊無常なりと。而して微細なるが故に現に得る所に非ず。
釈:現前にこれらの絶えず変異する諸行を観察する増上作意力があるため、内事と外事を観察すると変異無常の性と相応し、諸行変異の角度から一切の法が無常であると観察する。この因縁によって、諸行の変異無常の性を現前に観察し、その変異無常性に背かない。現見とは現量所見を意味する。内外事一切の法は無常性に背かず、一切の法の変異は他縁によって起こるのではない、外的因縁によって引き起こされるのではない。
内外一切の法の無常性の観察と確認は、自らの増上作意力に従って仔細に審査し、最後に心得が決定する。このような因縁があるため、現前観察は現見増上作意であると言う。つまり、このような現見増上作意力があるため、諸行変異無常の性を観察した後、それらの色行はまだ存在しているが、全て刹那生滅、壊れる無常の法であると知る。これらの法は非常に微細なため、現前に観察できるものではない。
原文:故に現見増上の作意に依りて応に正しく比度す。如何に比度すべきや。謂わく彼の諸行は要ず刹那生滅滅壞有るを以て方に可得、前後変異。是の如く住するに非ずして変異有るを得ん。是の故に諸行は必定に応有す刹那生滅を。彼彼の衆縁和合有るが故に。是の如く是の如く諸行は生を得。生已ちて滅壊因縁を待たず、自然に滅壊す。是の如く所有の変異因縁は能く諸行をして転変生起せしむ。
釈:したがって現見増上作意に依って、色行の刹那生滅変異を正しく比量推論すべきである。如何に比量するか? このように認識すべきである:諸行には必ず刹那の生滅がなければならない。色行が壊れるからこそ前後の変異が観察できるのであり、そのまま留まって変わらない状態から変異を知るのではない。したがって諸行には必ず刹那の生滅があるはずである。なぜなら多くの因縁が和合して初めて現れるからであり、これらの諸行が生じるのである。生じた後は諸行が壊れるのを待たず、その和合した因縁が滅すれば、諸行は自然に壊れる。したがって諸行を変異させる全ての因縁は、諸行に転変を起こさせる。
比量とは比量推論であり、現量見に基づく正比量によって初めて真実の結果が得られる。つまり、比量の根拠は現量見、事実であり、比量の結果が初めて事実となり得る。そうでなければ不正比量となり、比量の結果は真実でなく信頼できない。
色行は色法、色蘊の運行であり、色行は現前・現量で見えるが、色法の刹那刹那の生滅変異は、禅定力と慧力が不足しているため現前に見ることができず、現前の如実に見た色行に基づいて正比量を行う必要がある。色法が絶えず生滅壊滅するからこそ色法は存在し現れ、色行があり、前後の変異があって色行がある。もし色法が変異しなければ行はなく、法は存在しない。したがって色行の刹那生滅変異は、現量見色に基づく正比量によって初めて証知正知を得る。
原文:此れ是れ変異生起の因縁、諸行滅壊の因縁に非ず。何を以っての故に。彼の諸行は世の現見する滅壊因縁と倶に滅壊したる已、後不相似生起可得なり。彼の一切全く生起せずに非ず。或いは諸行有り、既に滅壊したる已、一切生起全く可得ず。煎水等の如く、最後の一切は皆悉く消尽す。災火は器世間を焚焼したる已、都て灰燼無く、乃至余影も亦た可得ず。彼も亦た因縁の後後展転漸減尽の故に、最後の一切は都て所有無し。其の火に由って是の如き事を作すに非ず。是の故に変異は前に説く所の八種の因縁に由りて変を生起せしめ、自然に滅壊す。
釈:これは諸行変異の現象が生じる因縁であり、諸行が壊れる因縁ではない。なぜそう言えるのか? 諸行と世間に現見できる壊れる因縁が共に壊れた後、再び似た法が生じないという現象からわかるが、全ての法が生じないわけではない。ある諸行が壊れた後、一切の法が生じなくなることもある。例えば水を沸かすと、沸騰するほど減り、ついには全ての水が消え失せる。
また、三災の火災が器世間を焼き尽くした後は、灰さえ存在せず、影さえ見えなくなる。これも因縁が絶えず変異し、諸行が次第に減り、ついには滅尽するためであり、最後には一切の法が存在しなくなる。器世間が滅尽するのは火災のためではない。したがって諸行の変異は前に述べた八種の因縁によって変異現象が生じ、諸行が自然に壊れるのである。
諸行が生じる因縁は法の変異であり、法が壊れることではない。壊れた後は法はなく、諸行もない。諸行が壊れることも無常と苦を表す。
原文:是の如く比度作