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四念処経講話 第二版(新修)

作者: 釋生如 分類: 二乗解脱 更新時間: 2025-02-27 閲覧回数: 867

第二章 身念処を観ずる

第一節 呼吸を観ずる

原文:然り。諸比丘よ。比丘は如何にして身において身を観じて住するや。諸比丘よ。此において。比丘は林に往き。樹下に往き。閑静なる処に往き。結跏趺坐し。身を正しくして。思念を現前にす。

釈:世尊は説きたまう「さて、諸比丘よ、四念処観を修すれば苦悩憂いを滅し得て清涼を得るが故に、比丘は如何にして身において身を観じて住するべきか。諸比丘らよ、四念処観を修するには、まず人里離れた森林・樹下・閑静な場所を選び、結跏趺坐し、身体を端正に伸ばし曲げず、思惟観行を始めよ」と。

世尊は具体的な観身法を説き始められた。往昔世尊が説法される時、多くの弟子は法会終了後それぞれ静かな場所で静坐思惟した。印度の酷暑の中、比丘は森林の樹下や墓地、洞窟など人里離れた場所を選び、敷物を敷き端坐した。各自が別々に修行し、互いに干渉せず、禅定と智慧を同時に修した。跏趺坐は気血の巡りを整え、心を静める効果がある。身体を正せば気脈が通じ、心乱れず。姿勢が崩れれば内臓圧迫され気血滞り、心散漫となる。

思念すべきは世尊の説法である。聞法後すぐに教理を反芻し、一理一理検証すべきである。小乗の禅観は定慧双修であり、大乗の参禅とは異なるが、集中観察の方法は通ずる。

原文:彼は正念をもって入息し、正念をもって出息す。

釈:正念とは雑念なく観察対象に専注することをいう。呼吸観察は鼻から丹田に至る気流の経路を細かに感知する。妄想起これば呼吸への注意力散じ、故に持続的な観察が必要である。呼吸が長短変化する時も常に自覚を保ち、禅定深化に伴い次第に呼吸は微細化する。

原文:或いは長き入息の時、我は長く入息すと知り。又長き出息の時、我は長く出息すと知る。

釈:心静まれば呼吸自然に長くなる。気脈開通し丹田まで気流達する故である。四禅に至れば呼吸停止する。呼吸の長短を自覚することは定力向上の指標となる。

原文:或いは短き入息の時、我は短く入息すと知り。又短き出息の時、我は短く出息すと知る。

釈:呼吸の長短変化も等しく観察対象とする。心を一処に止め、持続的に注意力を養う。修習期間は個人差あるも、基礎固めが肝要である。

原文:修習して我は全身を覚知しつつ入息し、修習して我は全身を覚知しつつ出息す。

釈:観察範囲を全身に拡大する。気脈運行・臓器状態・四肢感覚を詳細に把握する。定力増すほど観察は精緻化し、身体の微細な変化も感知可能となる。

原文:修習して我は身行を止めつつ入息し、修習して我は身行を止めつつ出息す。

釈:身体の動揺を静止させる段階。心寂静ならば気脈円滑に運行し、粗大な身動き自然に止む。呼吸と共に全身の静止状態を明晰に了知する。

原文:諸比丘よ。恰も熟練せる轆轤師あるいはその弟子が、長く回転せしめては我は長く回転すと知り、短く回転せしめては我は短く回転すと知るが如し。

釈:仏は轆轤操作の比喩をもって観呼吸法を説く。匠の注意力集中が繩の長短を常に自覚する如く、比丘も呼吸の微細な変化を等しく観察すべきである。

原文:諸比丘よ。比丘はかくの如く長き入息において我は長く入息すと知り、長き出息において我は長く出息すと知り、短き入息において我は短く入息すと知り、短き出息において我は短く出息すと知る。

釈:呼吸観察の基本要領を再確認。禅定深化に伴い呼吸は次第に微細化し、四禅に至っては出入息滅する。

原文:修習して我は全身を覚知しつつ入息し、修習して我は全身を覚知しつつ出息す。修習して我は身行を止めつつ入息し、修習して我は身行を止めつつ出息す。

釈:観察範囲を全身に拡大し、更に身体の静止状態を詳細に把握する段階。定力が増すほど観察対象は広汎かつ精緻となる。

原文:かくの如く、或いは内身において身を観じ、或いは外身において身を観じ、或いは内外身において身を観じて住す。

釈:観察対象を内身(自身の五蘊)から外身(外界の六境)へ拡大。更に内外同時に観照する。十八界全体を観察対象とし、五蘊の仮構性を悟る。

原文:或いは身において生起する法を観じ、或いは身において滅する法を観じ、或いは身において生滅する法を観じて住す。

釈:身体における諸現象の生滅変化を観察。軽安・疼痛・気脈運行等の生起消滅を詳細に了知し、無常を体得する。

原文:さらに智識と憶念によって形成された身の思念が現前するも、彼は何ものにも依らずに住し、世間の如何なるものにも執着せずに住す。諸比丘よ。比丘はかくの如く身において身を観じて住す。

釈:最終段階では身体観念を超越する。一切の執着を離れ、無所住の境地に至る。これにより身見を断じ、我執を超越する道が開ける。

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