四念処経講話 第二版(新修)
原文:復次に、諸比丘よ。比丘は即ち四聖諦の法におりて、法を観じて住す。然るに、諸比丘よ。比丘は如何にして即ち四聖諦の法におりて法を観じて住すや。ここに、諸比丘よ。比丘は如実に知る、此れは苦なりと。如実に知る、此れは苦の集なりと。如実に知る、此れは苦の滅なりと。如実に知る、此れは苦滅に至る道なりと。然るに、諸比丘よ。苦諦とは何ぞや。生は苦なり。老いは苦なり、病いは苦なり。死は苦なり。憂い悲しみ悩み悶えは苦なり。求めて得ざるは苦なり。約略して言えば、五取蘊は苦なり。
釈:引き続き申し上げる。諸比丘よ、比丘は四聖諦の法におりて法を観じて住すべきである。では、諸比丘よ、比丘は如何にして四聖諦の法におりて観行して住すのか。この問題についてはこのように解答すべきである。諸比丘よ、比丘は如実に了知すべきである、何が苦であるかを。如実に了知すべきである、何が苦の集であるかを。如実に了知すべきである、何が苦の滅であるかを。如実に了知すべきである、苦を滅するべき道が何であるかを。では、諸比丘よ、苦の真実の理とは何か。出生は苦、老いは苦、病いは苦、死は苦、憂い悲しみ悩み悶えは全て苦、求めて得られざることも苦、総じて言えば、五取蘊は全て苦である。
原文:復次に、諸比丘よ。生とは何ぞや。あらゆる処の生類の中にて、諸々の衆生の生じ出で産まれ、入胎し転生し、諸蘊の顕現、内外の諸処の摂受あるを。諸比丘よ、此れを生と名づく。復次に、諸比丘よ。老いとは何ぞや。あらゆる処の生類の中にて、諸々の衆生の年老いて耄(もう)すれ、歯落ち髪白く、皺(しわ)み皮膚、寿命短縮し、諸根熟して衰えるを。諸比丘よ、此れを老いと名づく。
釈:さらに申し上げる。諸比丘よ、何が生か。全ての処の生類の中に、多くの衆生が出生し、出胎し、入胎し、再び出生し、及び色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の顕現、内六処と外六処の摂受がある。これらが生である。再び申し上げる。諸比丘よ、何が老いか。全ての処の生類の中に、多くの衆生が年を重ね老い衰え、歯が脱落し、髪が白くなり、皮膚に皺が現れ、寿命が短くなり、眼・耳・鼻・舌・身の諸根が成熟し衰える。諸比丘よ、これらを老いと呼ぶ。
原文:復次に、諸比丘よ。死とは何ぞや。あらゆる処の生類の中にて、諸々の衆生の消失し散滅し、破壊し滅亡し、消滅し死没し、命終し諸蘊の破壊、死屍の放棄あるを。諸比丘よ、此れを死と名づく。復次に、諸比丘よ。憂いとは何ぞや。諸比丘よ、若干の不幸とともにあり、若干の苦法に悩まされ、憂愁を感じ内に憂い内に怆(いた)むを。諸比丘よ、此れを憂いと名づく。復次に、諸比丘よ。悲しみとは何ぞや。諸比丘よ、若干の不幸とともにあり、若干の苦法に悩まされ、嘆き悲しみ嘆息し悲哀し悲嘆し悲痛するを。諸比丘よ、此れを悲しみと名づく。
釈:引き続き申し上げる。諸比丘よ、何が死か。全ての処の生類の中に、多くの衆生が消失し、散滅し、破壊され、滅亡し、消滅し、寿命が終わり死に絶え、及び命終時に五蘊が破壊され、死屍が捨てられる。諸比丘よ、これが死亡である。引き続き申し上げる。諸比丘よ、何が憂いか。諸比丘よ、三界に法が集まる処に若干の程度の不幸があり、若干の苦法に悩まされ、憂愁を感じ、内心に愁い憂い凄怆(せいそう)を感じる。これが憂いである。再び、諸比丘よ、何が悲しみか。諸比丘よ、若干種の不幸な事に遭遇し、いくつかの苦痛に迫られ悩まされ、心に嘆き悲しみ、嘆息、悲哀、悲嘆、悲痛が生じる。諸比丘よ、これが悲しみである。
原文:復次に、諸比丘よ。苦とは何ぞや。諸比丘よ、身に関する苦痛、身の不快、身の触によって生じた苦痛及び不快の感受を。諸比丘よ、此れを苦と名づく。復次に、諸比丘よ。悩みとは何ぞや。諸比丘よ、心に関する苦痛、心の不快、意の触によって生じた苦痛及び不快の感受を。諸比丘よ、此れを悩みと名づく。復次に、諸比丘よ。悶えとは何ぞや。諸比丘よ、若干の不幸とともにあり、苦法に悩まされ、失望し沮喪(そそう)し、気力を失い愁悶(しゅうもん)するを。諸比丘よ、此れを悶えと名づく。
釈:引き続き申し上げる。諸比丘よ、何が苦か。諸比丘よ、苦とは身体上の苦痛、身体上の不愉快、身体上の触によって生じた苦痛及び不愉快な感受である。これが苦である。再び申し上げる。諸比丘よ、何が悩みか。悩みとは心に関する苦痛、心理上の不愉快不快樂、意識が法塵に触れて生じた苦痛及び不愉快な感受である。諸比丘よ、これが悩みである。再び申し上げる。諸比丘よ、何が悶えか。諸比丘よ、若干種の不幸な事に遭遇し、心がこれらの苦しい事に迫られ悩まされ、失望、沮喪、気力を失い、愁悶を感じる。諸比丘よ、これが悶えである。
原文:然るに、諸比丘よ。求めて得ざる苦とは何ぞや。諸比丘よ、生の法にある衆生は、かくの如き欲求を生ず、我等は実に生の法の下にあらず、我等は生まれ来るを願わず。然るに、此の欲求を得ず。此れを求めて得ざる苦と為す。諸比丘よ、老いの法にある衆生は、かくの如き欲求を生ず、我等は実に老いの法の下にあらず、我等は老い来るを願わず。然るに、此の欲求を得ず。此れを求めて得ざる苦と為す。
釈:では、諸比丘よ、何が求めて得られない苦か。諸比丘よ、生きている状態にある衆生は、心にこのような欲求を生じる:我々は実に生命の中にいることを望まず、我々は出生し生きることを望まない。しかし、彼らはこの欲求を得られない。これが求めて得られない苦である。諸比丘よ、老いの状態にある衆生は、心にこのような欲求を生じる:我々は実に老いの中にいることを望まず、我々は老いることを望まない。しかし、彼らはこの欲求を得られない。これが求めて得られない苦である。
原文:乃至、諸比丘よ。病いの法にある衆生は、かくの如き欲求を生ず、我等は実に病いの法の下にあらず、我等は病い来るを願わず。然るに、此の欲求を得ず。此れを求めて得ざる苦と為す。乃至、諸比丘よ。死の法にある衆生は、かくの如き欲求を生ず、我等は実に死の法の下にあらず、我等は死に来るを願わず。然るに、此の欲求を得ず。此れを求めて得ざる苦と為す。乃至、諸比丘よ。憂い悲しみ悩み悶えの法にある衆生は、かくの如き欲求を生ず、我等は実に憂い悲しみ悩み悶えの法の下にあらず、我等は憂い悲しみ悩み悶えの法の来るを願わず。然るに、此の欲求を得ず。此れを求めて得ざる苦と為す。
釈:諸比丘よ、病いの苦しみの中にある衆生は、心にこのような欲求を生じる:我々は実に病いの苦しみの中にいることを望まず、我々は病いになることを望まない。しかし、彼らはこの欲求を得られない。これが求めて得られない苦である。諸比丘よ、死を目前にした状態にある衆生は、心にこのような欲求を生じる:我々は実に死の中にいることを望まず、我々は死ぬことを望まない。しかし、彼らはこの欲求を得られない。これが求めて得られない苦である。
諸比丘よ、憂い悲しみ悩み悶えの法の中にある衆生は、心にこのような欲求を生じる:我々は実に憂い悲しみ悩み悶えの中にいることを望まず、もう憂い悲しみ悩み悶えが来ることを望まない。しかし、彼らはこの欲求を得られない。これが求めて得られない苦である。
原文:然るに、諸比丘よ。約略して言えば、五取蘊の苦とは何ぞや。次第の如き色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊を。諸比丘よ、約略して言えば、此等を五取蘊の苦と名づく。諸比丘よ、此れ亦た苦聖諦と名づく。
釈:総じて言えば、諸比丘よ、簡略に言って、何が五取蘊の苦か。衆生が順次に執取する色蘊、執取する受蘊、執取する想蘊、執取する行蘊、執取する識蘊、簡略に言えば、執着があれば苦であり、取着があれば苦であり、執着できず、取着できなければ、なおさら苦である。これが五取蘊の苦である。諸比丘よ、これも苦聖諦と呼ばれる。
<h4 style="text-indent: 2em;">二、苦集諦を観じて住す</h4>原文:然るに、諸比丘よ。苦集聖諦とは何ぞや。此の愛は能く再生を導き、喜び貪りとともにあり、至る所で追求して満足せんと為す。即ち欲愛・有愛・無有愛なり。復次に、諸比丘よ。彼の愛は何れの処にか生起し、何れの処にか止住するや。凡(およ)そ世間に愛すべき喜ぶべきもの有る処、此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:では、諸比丘よ、苦集聖諦とは何か。現世の全ての貪愛は再びの出生を引き起こし、再びこの三界に生まれる時、何に触れても喜びと貪愛を伴い、四方に追い求めて自らの貪愛を満たす。即ち欲界の法を貪愛し、色界の法を貪愛し、無色界の法を貪愛し、追求する全ては自らの貪愛心理を満たすためである。今世の煩悩は業種を集積し、後世の苦果を引き起こす。これが苦集の真理である。
再び申し上げる。諸比丘よ、内心の貪愛は何処で生じ、何処に住み、何処に止まるか。世間に愛楽欣喜する事物が存在する凡(およ)そ其処に、この愛楽欣喜心は執持する事物の処に出生し、此処に住し、此処に停止する。何れの法を喜び楽しむかによって、心は其の法に止住し、其の法に束縛され、解脱を得られない。
原文:何れが世間に於いて愛すべき喜ぶべきや。眼は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。耳は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至鼻は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至舌は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。身は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至意は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:世間において何が愛すべき喜ぶべき法か。眼根は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は眼根の処に生起し、眼根の処に止住して動かない。耳根は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は耳根の処に生起し、耳根の処に止住して動かない。鼻根は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は鼻根の処に生起し、鼻根の処に止住して動かない。舌根は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は舌根の処に生起し、舌根の処に止住して動かない。身根は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は身根の処に生起し、身根の処に止住して動かない。乃至意根は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は意根の処に生起し、意根の処に止住して動かない。
これは六根について述べている。衆生は六根を愛する。なぜなら六根は六塵に触れ、自らの為に用いることができるからである。故に心は六根の上に住し、絶え間なく六根を用いる。誰が六根を用いるのか。意根が六根を愛し用いるのであり、意根自身をも愛し用いることを含み、自らに絶えず作意・触・受・想・思をさせ、以て絶えず六塵の境界を取着させる。
原文:色は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至声は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至香は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至味は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至法は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:色塵は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は色塵の処に生起し、色塵の処に止住して動かない。声塵は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は声塵の処に生起し、声塵の処に止住して動かない。香塵は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は香塵の処に生起し、香塵の処に止住して動かない。味塵は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は味塵の処に生起し、味塵の処に止住して動かない。触塵は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は触塵の処に生起し、触塵の処に止住して動かない。法塵は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は法塵の処に生起し、法塵の処に止住して動かない。
これは六塵が愛すべき喜ぶべき法であると言っている。六塵は衆生の為に用いることができるので、全ての衆生は六塵を貪愛する。誰が六塵の法を喜ぶのか。意根が六塵の法を喜び、六塵の法を貪愛し、絶えず六塵の処で執取する。
原文:眼識は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至耳識は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至鼻識は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至舌識は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至身識は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至意識は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:眼識は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は眼識の処に生起し、眼識の処に止住して動かない。乃至耳識は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は耳識の処に生起し、耳識の処に止住して動かない。乃至鼻識は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は鼻識の処に生起し、鼻識の処に止住して動かない。乃至舌識は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は舌識の処に生起し、舌識の処に止住して動かない。乃至身識は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は身識の処に生起し、身識の処に止住して動かない。乃至意識は世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は意識の処に生起し、意識の処に止住して動かない。
これは六識が愛すべき喜ぶべき法であると言っている。六識は六塵を識別し、取着し、用い、享受できるので、衆生は六識を愛する。六識に貪着するのは、誰が六識を喜ぶのか。意根が六識を喜び、六識に執取し、六識に絶えず六塵に対して作意・触・受・想・思をさせ、最終的には六識を通じて六塵を執取する。六識は意根が六塵を執取する用具であり、此の用具がなければ、意根は何も為すことができない。故に意根は六識が滅することを望まず、それ故に禅定を修めることは非常に容易ではない。
原文:眼触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至耳触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至鼻触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至舌触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至身触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至意触は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:眼が色に触れることは世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は眼触の処に生起し、眼触の処に止住して動かない。乃至耳が声に触れることは世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は耳触の処に生起し、耳触の処に止住して動かない。乃至鼻が香に触れることは世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は鼻触の処に生起し、鼻触の処に止住して動かない。乃至舌が味に触れることは世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は舌触の処に生起し、舌触の処に止住して動かない。乃至身が触に触れることは世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は身触の処に生起し、身触の処に止住して動かない。乃至意が法に触れることは世間において愛すべき喜ぶべき法であり、貪愛は意触の処に生起し、意触の処に止住して動かない。
これは十二処が愛すべき喜ぶべき法であると言っている。六根が六塵に触れた後、六識が出生し、六塵の境界を享受できる。それ故に衆生は皆十二処を貪愛する。無論、根本的にはやはり意根の貪愛と喜楽であり、以て絶えず塵境を執取する。
原文:眼触によって生ずる受は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至耳触によって生ずる受は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至鼻触によって生ずる受は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至舌触によって生ずる受は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至身触によって生ずる受は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至意触によって生ずる受は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:眼触の後に生ずる受は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は眼触によって生ずる受の処に生起し、眼触によって生ずる受蘊の処に止住して動かない。乃至耳触の後に生ずる受は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は耳触によって生ずる受の処に生起し、耳触によって生ずる受の処に止住して動かない。乃至鼻触によって生ずる受は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は鼻触によって生ずる受蘊の処に生起し、鼻触によって生ずる受蘊の処に止住する。
乃至舌触によって生ずる受蘊は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は舌触によって生ずる受蘊の処に生起し、舌触によって生ずる受蘊の処に止住する。乃至身触によって生ずる受蘊は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は身触によって生ずる受蘊の処に生起し、身触によって生ずる受蘊の処に止住する。乃至意触によって生ずる受は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は意触によって生ずる受の処に生起し、意触によって生ずる受の処に止住して動かない。
これは六識の受について述べている。六根が六塵に触れた後、六識の感受が出生する。衆生は皆非常に受覚・受蘊を貪愛し、心は受蘊の上に住する。受蘊の為に、悪業を造ることを厭わない。無論、受蘊・受覚に貪着する主なものはやはり意根である。意根の貪りがあるからこそ、六識に絶えず触れさせ受けさせるのである。
原文:色想は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至声想は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至香想は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至味想は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至触想は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至法想は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:色塵に対する取着は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は色塵を取着する処に生起し、色塵を取着する処に止住して動かない。乃至声塵に対する取着は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は声塵を取着する処に生起し、声塵を取着する処に止住して動かない。乃至香塵に対する取着は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は香塵を取着する処に生起し、香塵を取着する処に止住して動かない。乃至味塵に対する取着は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は味塵を取着する処に生起し、味塵を取着する処に止住して動かない。乃至触塵に対する取着は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は触塵を取着する処に生起し、触塵を取着する処に止住して動かない。乃至法塵に対する取着は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は法塵を取着する処に生起し、法塵を取着する処に止住して動かない。
六根が六塵に触れ、受蘊が出生した後、想蘊が出生する。意根が相を取った後、六識は六塵の境界相を執取する。衆生は皆自らの想蘊を貪愛する。想蘊は六識が塵境を受け入れた後、意根が塵境に対して取相する行為であり、色蘊の相を取り、受蘊の相を取り、想蘊の相を取り、行蘊の相を取り、識蘊の相を取り、乃至六塵境界の相を取る。
原文:色思は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至声思は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至香思は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至味思は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至触思は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至法思は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:色法に対する造作は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は色法に造作する処に生起し、色法に造作する処に止住して動かない。乃至声法に対する造作は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は声法に造作する処に生起し、声法に造作する処に止住して動かない。乃至香法に対する造作は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は香法に造作する処に生起し、香法に造作する処に止住して動かない。乃至味法に対する造作は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は味法に造作する処に生起し、味法に造作する処に止住して動かない。乃至触法に対する造作は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は触法に造作する処に生起し、触法に造作する処に止住して動かない。乃至法塵に対する造作は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は法塵に造作する処に生起し、法塵に造作する処に止住して動かない。
六根が六塵に触れ、意根が六塵を思択執取した後、行蘊が出生する。六識は身口意行を造作する。衆生の意根は皆行蘊を好み、絶え間なく身口意行を造作することを好む。色・声・香・味・触・法に対する思とは、六塵境界に対する執取造作行為である。これらの行為造作は意根が喜ぶものであり、意根が主導して決断した結果である。後の業果は此の業行によって生じる。
原文:色愛は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至声愛は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至香愛は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至味愛は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至触愛は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至法愛は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:色塵に対する愛は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は色塵を愛する処に生起し、色塵を愛する処に止住して動かない。乃至声塵に対する愛は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は声塵を愛する処に生起し、声塵を愛する処に止住して動かない。乃至香塵に対する愛は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は香塵を愛する処に生起し、香塵を愛する処に止住して動かない。乃至味塵に対する愛は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は味塵を愛する処に生起し、味塵を愛する処に止住して動かない。乃至触塵に対する愛は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は触塵を愛する処に生起し、触塵を愛する処に止住して動かない。乃至法塵に対する愛は世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は法塵を愛する処に生起し、法塵を愛する処に止住して動かない。
六塵境界を貪愛する心行も、また衆生が愛し宝とするものであり、捨てることを望まない。それ故に衆生は皆六塵に対する貪愛を喜ぶ。
原文:色尋は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至声尋は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至香尋は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至味尋は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至触尋は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至法尋は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。
釈:色法を追い求めることは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は色法を追い求める処に生起し、色法を追い求める処に止住して動かない。乃至声法を追い求めることは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は声法を追い求める処に生起し、声法を追い求める処に止住して動かない。乃至香法を追い求めることは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は香法を追い求める処に生起し、香法を追い求める処に止住して動かない。乃至味法を追い求めることは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は味法を追い求める処に生起し、味法を追い求める処に止住して動かない。触法を追い求めることは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は触法を追い求める処に生起し、触法を追い求める処に止住して動かない。法塵を追い求めることは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は法塵を追い求める処に生起し、法塵を追い求める処に止住して動かない。
衆生は色・声・香・味・触・法の境界を愛するが故に、自らの貪愛心理を満たす為に、絶えず六塵を追求し六塵を探し求める。自らの追い求める心を放棄することを望まない。それ故に衆生は生々世々、絶えず六塵境界を追い求め探し求めている。
原文:色伺は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至声伺は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至香伺は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至味伺は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至触伺は世間に於いて愛すべき喜ぶべきなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。乃至法伺は世間に於いて愛すべき喜ぶべきものなり。此の愛は即ち此の処に生起し、此の処に止住す。諸比丘よ、此れを苦集聖諦と名づく。
釈:心を動かさずに色法の出現を待つことは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は色法を待つ処に生起し、色法を待つ処に止住して動かない。心を動かさずに声法の出現を待つことは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は声法を待つ処に生起し、声法を待つ処に止住して動かない。心を動かさずに香法の出現を待つことは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は香法を待つ処に生起し、香法を待つ処に止住して動かない。心を動かさずに味法の出現を待つことは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は味法を待つ処に生起し、味法を待つ処に止住して動かない。心を動かさずに触法の出現を待つことは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は触法を待つ処に生起し、触法を待つ処に止住して動かない。心を動かさずに法塵の出現を待つことは世間において愛すべき喜ぶべきであり、貪愛は法塵を待つ処に生起し、法塵を待つ処に止住して動かない。
衆生の六塵境界に対する貪愛と追求は、最初は比較的粗い探求行為である。探求がある程度進み、得られそうになると、待ち始め、細心に六塵境界の出現を待ち伺う。衆生はこれらの貪愛行為によって、生死の業種を集積し、後世には生死の苦報が生じる。