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四念処経講話 第二版(新修)

作者: 釋生如 分類: 二乗解脱 更新時間: 2025-02-26 閲覧回数: 268

第五章 法を観じて住す

第五節 四聖諦の法を観じて住す

一、苦諦を観じて住す

原文:復次ぎに、諸比丘よ、比丘は即ち四聖諦の法において法を観じて住す。然るに、諸比丘よ、比丘は如何にして即ち四聖諦の法において法を観じて住すや。此において、諸比丘よ、比丘は如実に此れは苦なりと知り、如実に此れは苦の集なりと知り、如実に此れは苦の滅なりと知り、如実に此れは苦滅に至る道なりと知る。然るに、諸比丘よ、苦諦とは何や。生は苦なり、老いは苦なり、病は苦なり、死は苦なり、憂悲苦悩悶は苦なり、求不得は苦なり、約略して言えば、五取蘊は苦なり。

釈:次に説く、諸比丘よ、比丘は四聖諦の法において法を観じて住すべきである。では、諸比丘よ、比丘は如何にして四聖諦の法を観じて住すべきか。この問題に対し、比丘は如実に苦とは何かを了知し、苦の集とは何かを了知し、苦の滅とは何かを了知し、苦を滅する道とは何かを了知すべきである。諸比丘よ、苦の真実理とは何か。生は苦、老いは苦、病は苦、死は苦、憂悲苦悩悶も苦、求不得も苦、要約すれば五取蘊こそ苦である。

原文:復次ぎに、諸比丘よ、生とは何や。諸々の生類の存在する所において、衆生の生まれ出づること、胎に入り転生すること、諸蘊の顕現すること、内外の諸処の摂受すること、諸比丘よ、此れを生と名づく。復次ぎに、諸比丘よ、老いとは何や。諸々の生類の存在する所において、衆生の年老い衰えること、歯の落ち髪の白むこと、皺の寄れる皮膚、寿命の短縮、諸根の熟衰すること、諸比丘よ、此れを老いと名づく。

釈:更に説く、諸比丘よ、生とはあらゆる生類の存在する所において、衆生が出生し、胎内に入り転生し、五蘊が顕現し、内外の六処を摂受することを指す。諸比丘よ、老いとはあらゆる生類の存在する所において、衆生が年を重ね衰え、歯が抜け髪が白くなり、皮膚に皺が寄り、寿命が縮み、諸根が衰えることをいう。

原文:復次ぎに、諸比丘よ、死とは何や。諸々の生類の存在する所において、衆生の消滅散失すること、壊れ滅びること、死没すること、命終えて諸蘊の壊れ、死屍の放棄されること、諸比丘よ、此れを死と名づく。復次ぎに、諸比丘よ、憂いとは何や。諸比丘よ、若干の不幸に遭遇し、苦法に悩まされ、内に憂い悲しむこと、諸比丘よ、此れを憂いと名づく。復次ぎに、諸比丘よ、悲しみとは何や。諸比丘よ、若干の不幸に遭遇し、苦法に悩まされ、嘆き悲しみ悲痛すること、諸比丘よ、此れを悲しみと名づく。

釈:死とはあらゆる生類の存在する所において、衆生が消滅し、命が終わり五蘊が壊れ、死體が捨てられることである。憂いとは不幸に遭遇し苦しみに悩み、内に愁えること。悲しみとは不幸に遭い苦しみに迫られ、嘆き悲しむことである。

原文:復次ぎに、諸比丘よ、苦とは何や。諸比丘よ、身に関する苦痛、身の不快、身触によって生ずる苦痛及び不快の感受、諸比丘よ、此れを苦と名づく。復次ぎに、諸比丘よ、悩みとは何や。諸比丘よ、心に関する苦痛、心の不快、意触によって生ずる苦痛及び不快の感受、諸比丘よ、此れを悩みと名づく。復次ぎに、諸比丘よ、悶えとは何や。諸比丘よ、若干の不幸に遭遇し、苦法に悩まされ、失望し落胆し憂鬱なること、諸比丘よ、此れを悶えと名づく。

釈:苦とは身体的な痛みや不快感、悩みとは精神的な苦痛、悶えとは失望や憂鬱に苛まれる状態を指す。

原文:然るに、諸比丘よ、求不得苦とは何や。諸比丘よ、生法にある衆生は『我等は生法の下にあらず、生まれ来るを願わず』と欲求するも、此の欲求を得ず。此れを求不得苦とす。老法にある衆生は『我等は老法の下にあらず、老い来るを願わず』と欲求するも、此の欲求を得ず。此れを求不得苦とす。

釈:求不得苦とは、生老病死などの法に縛られた衆生がそれらを避けたいと願いながら叶わぬ苦しみをいう。

原文:乃至、諸比丘よ、病法にある衆生、死法にある衆生、憂悲苦悩悶法にある衆生、各々『此等の法の下にあらず』と欲求するも叶わず、此れを求不得苦とす。諸比丘よ、約略して言えば、五取蘊の苦とは、色取蘊・受取蘊・想取蘊・行取蘊・識取蘊なり。此れを苦聖諦と名づく。

釈:要約すれば、五取蘊(色受想行識)への執着こそが苦の根源である。

二、苦集諦を観じて住す

原文:然るに、諸比丘よ、苦集聖諦とは何や。此の愛は再生を導き、喜貪を伴い、遍く追求するもの、即ち欲愛・有愛・非有愛なり。此の愛は世に愛すべきものある所に生起し止住す。眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法、乃至識・触・受・想・思・愛・尋・伺等、一切の愛着する所に於いて此の愛は生起止住す。此れを苦集聖諦と名づく。

釈:苦の原因である愛着は六根六境六識など一切の対象に生じ、輪廻を引き起こす。

三、苦滅諦を観じて住す

原文:復次ぎに、諸比丘よ、苦滅聖諦とは何や。此の愛を残りなく離れ、滅尽捨離し、解脱して染まらざる状態なり。此の愛は世に愛すべきものある所に於いて捨てられ止滅す。眼・耳・鼻・舌・身・意、乃至一切の対象に対する愛着を捨て止滅する時、此れを苦滅聖諦と名づく。

釈:愛着を完全に断じた境地が苦の滅諦である。

四、苦滅道諦を観じて住す

原文:復次ぎに、諸比丘よ、苦滅道聖諦とは何や。八支聖道、即ち正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定なり。正見とは苦・集・滅・道を如実に知ること。正思とは無欲・無瞋・無害の思惟。正語とは妄語・両舌・悪口・綺語を離れること。正業とは殺生・偸盗・邪淫を離れること。正命とは邪な生計を捨て正しき生活を営むこと。正精進とは不善を防ぎ善を修める努力。正念とは四念処を観じることにあり。正定とは四禅を成就すること。此れを苦滅道聖諦と名づく。

釈:八正道の実践こそが苦を滅する道である。

原文:かくの如く、内外の法を観じ、生滅を観じ、依る所なく住し、世の何ものにも執着せず、比丘はかくの如く四聖諦を観じて住す。七年乃至七日間此の法を修する者は、現世に涅槃を証するか、或いは不還果を得ん。此れ衆生清淨のため、苦悩を超えるため、唯一の道として四念処を説く。

世尊此の経を説き終え給う。諸比丘は世尊の説法を歓喜し奉る。

釈:四念処の実修はあらゆる衆生の清淨と解脱への確かな道である。

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