四念処経講話 第二版(新修)
第二章 身随観
第四節 地水火風の観察
原文:諸比丘よ、比丘は界(要素)によって、存在するが如く、志向するが如く、この身を観察する。すなわちこの身の中に地界・水界・火界・風界のあることを知る。
釈:仏は諸比丘たちに説かれた。比丘は色身を構成する四大元素の観点から色身を観察すべきである。例えば色身が存在する現実状況から観察し、色身の趣向や最終的な帰結から観察すれば、この身の中に地界・水界・火界・風界のあることを知るに至る。
界とは要素を指し、四大元素の機能的な境界と差異を表す。例えば地水火風の四大種子は四つの要素であり、それぞれ異なる機能・境界・属性を持つ。地界は堅固性、水界は湿潤性、火界は温熱性、風界は流動性を本質とする。これら四大元素は色身を構成する基本要素であり、ここに着眼して観察すれば色身の構成が虚妄・苦・無常・無我であることを理解できる。
存在とは生命体の現前する状態を指す。地水火風は身体の内外を構成する全ての物質(固形・液体)を形成する。現前の観察により、頭から足先、外側から内側まで、あらゆる部分が四大元素で構成されることを知る。皮膚・内臓・骨格・体液は全て四大種子の和合によって成り立つ。地界がなければ直立不能、水界がなければ干涸び、火界がなければ体温を保てず、風界がなければ呼吸・循環が停止する。
身体の各部分は四大元素の配合比率によって性質が異なる。例えば骨は地界が多いが、水界・火界・風界も含有する。空界の参与により物質の密度が決定される。老化による骨粗鬆症は地界の減少と空界の増加を示す。
四大種子は如来蔵に内在し、縁に応じて絶えず送出され色身を形成する。刹那毎に変化する四大の配合が、色身の無常性を証明する。飲食・業縁・環境の差異が如来蔵の種子送出に影響し、生老病死を引き起こす。
原文:諸比丘よ、熟練した牛屠り、あるいはその弟子が四つ辻で牛を解体し座すが如し。
釈:比丘は牛を解体するように色身を四大元素に分解して観察すべきである。屠牛の比喩は色身の合成性と虚妄性を明らかにする。四大を分解すれば色身の実体なきことが顕れる。
原文:諸比丘よ、かくの如く比丘は界によって存在の如く志向の如くこの身を観じ、地水火風の四界あるを知る。
釈:生ける時の四大と死後の分解を通観し、色身が仮和合に過ぎぬことを悟る。四大の不調和が病苦を生じ、縁散れば色身壊滅する。死に際しての四大分解は亀の生皮剥ぎに等しい苦痛を伴う。
原文:仏は説きたまう、かくの如く内身に身を観じて住し、外身に身を観じて住す。
釈:内外の色身を観察し、六塵(色・声・香・味・触・法)が全て四大の仮和合であることを知る。六塵は如来蔵より出で、縁に応じて生滅する虚妄の法である。
原文:また内外の身に身を観じて住し、あるいは身に生法を観じて住し、身に滅法を観じて住し、また身に生滅法を観じて住す。
釈:生滅変異を観じ、一切が無常・無我なることを徹見する。定力を以て生起する法と滅する法を同時に観察し、色身への執着を離れる。
原文:さらに智識によって成り、憶念によって成る身の思念が現前するも、依る所なく住し、世間の何ものにも執着せず。諸比丘よ、比丘はかくの如く身に身を観じて住す。
釈:観察を究竟すれば色身への妄執を離れ、清浄な知のみが現前する。この知を以て禅観を深め、我見を断ずる。一切の執着を離れ、如来蔵の真実相を体得する道である。