四念処経講話 第二版(新修)
第二章 身念処を観ずる
第五節 死屍を観ずる
原文:復た比丘たちよ、比丘は恰も冢間に遺棄された死屍を観るが如し。死後一日二日乃至三日を経て、膨張して青黒く腐敗せり。彼は此の身を注視し、此の身は斯の如き法(性質)を脱せず、而して斯くの如き者となることを知る。
釈:さらに観察を進めるに、比丘たちよ、比丘がこの段階に至れば、恰も屍衣に包まれて冢間に捨てられた死屍を観るに相応し。それらの死屍は死後第一日第二日より第三日に至り、身体は膨張し始め、青黒く腐敗する。比丘は専心自らの色身を観察し、己が色身も早晩かくの如く膨張し、青黒く腐敗し、自らも斯かる死屍となることを知る。例外なく、この運命を逃れ得ぬことを悟る。
次の段階として死屍を観る。衆生が死する時、地水火風の四大が分解して死人となる。かつて印度には屍棄林があり、一般の者は死後その林に投棄され、屍衣を掛けられて冢間に捨てられた。貧しき者は屍衣を回収して自ら用い、屍体を林に放置して野獣や鳥類の餌食に任せた。当時火葬や埋葬は稀で、印度の暑熱の中で一日二日三日を経れば、屍体は膨張し、青黒く腐敗し、細菌が内外より分解を始める。
何故膨張するか。体内の水分が高温下で停滞し細菌が発生、発酵作用により膨張する。生地を発酵させる理と同様、流動せざるものは腐敗を招く。流水は腐らず、戸枢は蠹されず、これが道理である。
或る者は修行者の屍体が長期にわたり腐敗しないと説くが、六祖慧能の真の不壊肉身を除けば、他は仮相に過ぎぬ。六祖は深甚なる禅定により三昧真火を発し、体内細菌を消滅させた。真の修行とは証果と明心の功徳にあり、自他を利益することを以て道と為す。世俗の有為法は道に非ず。
身を観じ終えれば、自らの色身も必ず斯くの如く死屍となることを悟る。此の身が我ならば、其の滅びし時我は何処へ往くか。此の観念を以て、色身への執着を離れ、奢侈を追わず、高価な代償を払わざるべし。
原文:斯くの如く、或いは内身に於いて身を観じて住し、外身に於いて身を観じて住し、又内外身に於いて身を観じて住す。或いは身に生法を観じて住し、身に滅法を観じて住し、又身に生滅法を観じて住す。
釈:かくの如く観行するに、心は内身の観察に住し、或いは外身の観察に住し、或いは同時に内外を観察する。色身の新生する法を観じ、或いは滅する法を観じ、或いは生滅同時を観ずる。未到地定に至れば、内外の諸法を同時に観察し、一切が無常・苦・空・無我なることを知る。
原文:尚又、智識の成れる所及び憶念の成れる所、皆な身の思念を現前せしむ。彼は依る所無くして住し、且つ世間の何ものにも執着せず。比丘たちよ、比丘はかくの如く身に於いて身を観じて住す。
釈:観行を究竟すれば、智識と憶念は身に関する観念に満ちる。然れども依る所無く住し、世間の如何なるものにも執着せず。此の境地に至りて初めて真の解脱への道が開ける。
原文:復た比丘たちよ、比丘は恰も冢間に遺棄された死屍を観るが如し。鳥に啄まれ、鷲に啄まれ、犬に食われ、豹に食われ、乃至種々の生類に食われる。彼は此の身を注視し、此の身は斯の如き法を脱せず、而して斯くの如き者となることを知る。
釈:更に進みて観ずるに、死屍は禽獣の餌食となり、最終的に骨片さえ散佚する。此の観察を通じ、色身の無常を徹見し、我執を離れる。生滅するものは真我に非ず、此の理を堅固に心に刻む。
原文:斯くの如く、或いは内身に於いて身を観じて住し、外身に於いて身を観じて住し、又内外身に於いて身を観じて住す。或いは身に生法を観じて住し、身に滅法を観じて住し、又身に生滅法を観じて住す。
釈:内外の観察を究竟すれば、五蘊皆空の理を現証する。此の智慧を以て初果を得、次第に上位の聖果に至る。小乗の基礎を固めつつ、大乗への道を準備す。
原文:尚又、智識の成れる所及び憶念の成れる所、皆な身の思念を現前せしむ。彼は依る所無くして住し、且つ世間の何ものにも執着せず。比丘たちよ、比丘はかくの如く身に於いて身を観じて住す。
釈:究竟の観行を以て、心は虚空の如く清浄となる。此の境地に安住し、更に禅機を参究して真我を悟る。小乗の果を超越し、大乗菩薩道へと進む基盤を確立す。
原文:復た比丘たちよ、比丘は恰も冢間に遺棄された死屍を観るが如し。血肉を具え筋を以て骸骨に連なるを、乃至血肉無く唯筋を以て連なり、遂には関節解けて骸骨四方に散在す。彼は此の身を注視し、此の身は斯の如き法を脱せず、而して斯くの如き者となることを知る。
釈:究極の観察に至れば、色身は完全に分解消散する。無量劫を経た色身の骨は須弥山を成す程なり。此の理を観じて、色身への執着を永く断滅す。如来蔵の幻化を悟り、一切の有為法を超越す。
原文:斯くの如く、或いは内身に於いて身を観じて住し、外身に於いて身を観じて住し、又内外身に於いて身を観じて住す。或いは身に生法を観じて住し、身に滅法を観じて住し、又身に生滅法を観じて住す。
釈:此の如き観察を究竟すれば、初地菩薩の境地に至る。如来の真の仏子となり、究竟の菩提を目指して精進す。
原文:尚又、智識の成れる所及び憶念の成れる所、皆な身の思念を現前せしむ。彼は依る所無くして住し、且つ世間の何ものにも執着せず。比丘たちよ、比丘はかくの如く身に於いて身を観じて住す。
釈:観行の極致に至り、心は完全に解脱す。此の智慧を以て衆生を導き、自他共に仏道を成就す。
原文:復た比丘たちよ、比丘は恰も冢間に遺棄された死屍を観るが如し。初め螺色の白骨となり、一年を経て骨堆を成し、遂には粉砕壊敗す。彼は此の身を注視し、此の身は斯の如き法を脱せず、而して斯くの如き者となることを知る。比丘たちよ、比丘はかくの如く身に於いて身を観じて住す。
釈:最後の観察として、死屍が完全に消散する過程を観ずる。四大の仮和合を徹見し、究竟の空観を成就す。此の智慧を以て無上菩提を求め、仏果の完成を期す。