衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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四念処経講話 第二版(新修)

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年07月13日 閲覧数: 219

第五章 法を観じて住す

第三節 六内外の法処を観じて住す

原文:復た次に。諸比丘よ。比丘は即ち六内外の処法において、法を観じて住す。然り。諸比丘よ。比丘は如何にして六内外の処法に於いて法を観じて住すべきか。此れに於いて。諸比丘よ。比丘は眼を知り、色を知る。其の二者に縁って生ずる結びを知る。而して未だ生ぜざる結びの生起するを知る。また已に生じたる結びの滅尽するを知る。また已に滅尽したる結びが、未来に再び生起せざるを知る。

釈:さらに続けて説く、諸比丘よ、比丘は六内処法と六外処法を観察し、心を六内処法と六外処法を観ずることに住まわすべきである。この観行について、諸比丘よ、比丘は如何にして六内処法と六外処法に法を観じて住すべきか。このように、諸比丘よ、比丘は眼根を知り、色塵を知り、眼根と色塵に縁って生死の結縛が生じることを知るべきである。そして心に未だ現れざる結縛が今生起したことを知り、また既に生じた結縛が今滅尽したことを知り、更に既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを知るべきである。

六内処法とは六つの内根、勝義根内の五根及び意根を指す。意根は外根にも属し、内根にも属する。六外処法とは六塵、勝義根内に落ちる色声香味触法を指す。六根と六塵が接触し、もし意根が了別して身口意行を造作しようとすれば、如来蔵は六識を生じ、六識の心行が生起する。もし此処に貪愛や厭悪などの心行が現れれば、それが生死の結縛である。

結縛は総じて九つある:愛結、恚結、慢結、無明結、見結、取結、疑結、嫉結、悋結。全ての煩悩結縛は根塵の接触処で発生する。もし意根が六塵を了別せず決定しなければ、六識は生じず、これらの煩悩結も生じない。仮に六識が六塵を了別した後、了別の状況を意根に伝えても、意根に煩悩がなければ六識に煩悩を生起させることはない。もし六識に煩悩がなければ、意根を調制して染め、煩悩を生起させず、こうして生死の結縛はない。故に観行する時、多くは六根が六塵に触れる時に観行し、心を六内法と六外法の処に住まわすことで、自らの心行を如実に知り、自らの煩悩結縛を降伏・断除できる。これが修行である。

眼根と色塵という対法を観行する時、禅定と智慧が増長し、心は次第に清浄となる。元来の全ての結縛は徐々に薄れ消滅し、後には比較的徹底的に消滅し、遂には未来に再び現れないに至る。これが観行を通じて煩悩結縛を断除し、心が自在を得たことである。これらの情況を全て知り、心に明瞭であるべきである。例えば元来山水に遊ぶことを好んでいたが、観行を通じて山水に遊ぶことに興味を持たなくなり、心が既に飽きて再び遊びたくなくなり、且つ将来も再び山水に遊ぶことに興味を持たないことを確信できるようになる。

原文:また耳を知り声を知る。其の二者に縁って生ずる結びを知る。而して未だ生ぜざる結びの生起するを知る。また已に生じたる結びの滅尽するを知る。また已に滅尽したる結びが、未来に再び生起せざるを知る。乃至鼻を知り香を知る。其の二者に縁って生ずる結びを知る。而して未だ生ぜざる結びの生起するを知る。また已に生じたる結びの滅尽するを知る。また已に滅尽したる結びが、未来に再び生起せざるを知る。乃至舌を知り味を知る。其の二者に縁って生ずる結びを知る。而して未だ生ぜざる結びの生起するを知る。また已に生じたる結びの滅尽するを知る。また已に滅尽したる結びが、未来に再び生起せざるを知る。

釈:更に耳根を知り、声塵を知り、耳根と声塵に縁って生死の結縛が生じることを知るべきである。そして心に未だ生じざる結縛が今生起したことを知り、既に生じた結縛が今滅尽したことを知り、更に既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを知るべきである。

引き続き鼻根を知り、香塵を知り、鼻根と香塵に縁って生死の結縛が生じることを知るべきである。また元来生じていなかった結縛が今生起したことを知り、既に生じた結縛が今滅尽したことを知り、更に既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを知るべきである。乃ち舌根を知り、味塵を知り、舌根と味塵に縁って生死の結縛が生じることを知るべきである。続いて未だ生じざる結縛が今生起したことを知り、既に生じた結縛が今滅尽したことを知り、更に既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを知るべきである。

如何にして心に結縛が生起したかを観行するか。例えば耳根が音楽と接触する時、元来心に貪愛がなかったが、聴くにつれ次第に好きになり、貪愛の結縛が生じる。その後何らかの理由で、その音楽を好きではなくなり、その音楽への貪愛結が滅尽し、且つ将来その音楽を聴いても再び好きにならないことを知る。如何なる色声香味触法の境界に遭遇しても、自らの内心の結縛が何であるかを観察することを学ぶべきである。生死の結縛であり、法に不如なることを知るだけで良い。この考え方・見解を意根に伝え、徐々に意根を染めれば、意根は意識の気付かぬ間に思量し、一旦貪愛などの結縛が確かに良くないと知れば、自らの煩悩を抑え伏せ、禅定力が増強されると、煩悩結縛を滅尽できる。

原文:乃至身を知り触を知る。其の二者に縁って生ずる結びを知る。而して未だ生ぜざる結びの生起するを知る。また已に生じたる結びの滅尽するを知る。また已に滅尽したる結びが、未来に再び生起せざるを知る。乃至意を知り法を知る。其の二者に縁って生ずる結びを知る。而して未だ生ぜざる結びの生起するを知る。また已に生じたる結びの滅尽するを知る。已に滅尽したる結びが、未来に再び生起せざるを知る。

釈:乃ち更に身根を知り、触塵を知り、身根と触塵に縁って生じた生死の結縛を知るべきである。元来生じていなかった結縛が今生起したことを知り、既に生じた結縛が今滅尽したことを知り、既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを知るべきである。乃ち意根と法塵が接触する時、意根を知り、法塵を知り、意根と法塵に縁って生じた生死の結縛を知るべきである。元来生じていなかった結縛が今生起したことを知り、既に生じた結縛が今滅尽したことを知り、既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを知るべきである。

原文:かくの如く。或いは内法に於いて法を観じて住す。外法に於いて法を観じて住す。内外法に於いて法を観じて住す。或いは法に於いて生法を観じて住す。或いは法に於いて滅法を観じて住す。或いは法に於いて生滅法を観じて住す。尚又智識によって成り。及び憶念によって成る。皆法の思念が現前する。彼は依る所無くして住すべきである。且つ世間の如何なる物にも執着せず。比丘はかくの如く、法に於いて法を観じて住す。

釈:このように観行し、内法である六根に対して法を観じて住し、或いは外法である六塵に対して法を観じて住す。或いは同時に内外法である六根と六塵を観察し、心を観法に住まわす。或いはこれらの法に対して、生起の情況を観察し、次に滅去の情況を観察し、或いは同時に生起と滅去の情況を観察する。

内外法を観行し終えた後、生法と滅法も観行が完成し、識心の心心念念の中に常に法の存在があり、憶念の中も全てこれらの法である。その後これらの内外法の念想を空じ、心念は法に依って住せず、且つ世間の如何なる物にも執着せずに住す。心の中に一つの法も住まわさない。内法にも住せず、外法にも住さない。何故なら内外法が共に生滅変異し無常であり、依止すべきでないと知るからである。心の中の全ての法を空じ、如何なる法にも依らずに住す。そして世間の如何なる一物にも執着せずに住す。こうして内心は極めて清浄に空じ尽くされる。比丘はこのように法を観じて法に住すべきである。

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