阿含経十二因縁釈
第二節 世尊が順逆に十二因縁を参究されたこと
(二八五)世尊が順逆に十二因縁を参究されたこと
原文:如是我聞。一時。仏は舎衛国祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく。我は宿命を憶念するに、未だ正覚を成ぜし時、独り静かなる処にありて、専ら禅思に精進し、かくの如き念を生じき。世間は入り難し。所謂、生あるが故に老あり、病あるが故に死あり、遷るが故に受生あり。然るに諸の衆生は、生老死の上及びその所依について、如実に知ることなし。
釈:世尊が舎衛国祇樹給孤独園におられた時、諸比丘たちにこう仰せになった。「私は宿命通によって過去世を振り返り、まだ仏として正覚を成就していなかった頃、静寂な場所で一人禅定観行に専念していた。その時、このような観念が生じた。この世は苦難に満ちている。生があれば老いが、病があれば死が、生命の遷変があれば受生がある。しかし衆生たちは生老死の過患を如実に知らず、生老死が依拠する法をも知らない」
原文:我はこの念をなす。何の法あるが故に生ありや。何の法を縁として生あるや。即ち正思惟を起こし、無間等の智を生じき。有あるが故に生あり。有を縁として生あり。また思惟す。何の法あるが故に有ありや。何の法を縁として有あるや。即ち正思惟を起こし、如実の無間等の智を生じき。取あるが故に有あり。取を縁として有あり。
釈:「私は禅思の中で疑問を抱いた。いかなる法が存在するから生命体が生じるのか。いかなる縁によって生命体が生まれるのか。正思惟を深めた結果、三界の器世間があるから生命体が生じ、器世間の生存条件が整うから生命体が現れることを悟った。さらに思惟を進め、いかなる法が存在するから三界の有が生じるのか。正思惟によって、五陰世間法への執取があるから三界の有が生じ、心が五陰を執取するから器世間が現れることを証得した」
原文:またこの念をなす。取はさらに何を縁とするや。何の法あるが故に取ありや。即ち正思惟を起こし、如実の無間等の智を生じき。取法に味着し、顧念して心縛され、愛欲が増長するが故に、彼の愛あるが故に取あり。愛を縁として取あり。取を縁として有あり。有を縁として生あり。生を縁として老病死・憂悲悩苦あり。かくの如く純大苦聚が集起す。
釈:「さらに思惟を深め、五陰への執取は何によって生じるのか。正思惟によって、五陰世間法への貪愛と執着が心を縛り、愛欲が増長する故に執取が生じることを悟った。愛があるから執取が生じ、執取によって三界の有が生まれ、生老病死の苦が集起することを証得した」
原文:諸比丘よ、汝らはどう思うか。譬えば膏油と燈炷を縁として燈明が燃えるが如し。油炷を増さねば、その燈明は久しく住することなきが如し。比丘ら答えき。然り、世尊。かくの如く諸比丘よ、色に取着し味着し、顧念して愛縛され、愛縁が増長すれば、取を生じ、取によって有が生じ、有によって生が生じ、生によって老病死・憂悲悩苦が生じ、かくの如く純大苦聚が集起す。
釈:「油燈の譬えによって、貪愛の煩悩を絶てば苦が消滅することを説かれた。色法への執着を断ち、愛縁を滅すれば、生老病死の連鎖が断たれ、大苦が消滅することを示された」
原文:我は時にこの念をなす。何の法なきが故に老死なしや。何の法滅するが故に老死滅すや。即ち正思惟を起こし、如実の無間等の智を生じき。生なきが故に老死なし。生滅するが故に老死滅す。またこの念をなす。何の法なきが故に生なしや。即ち正思惟を起こし、有なきが故に生なし。有滅するが故に生滅す。
釈:「生の滅によって老死が滅し、有の滅によって生が滅するという十二因縁の逆観を説かれた。無明を断じ業行を滅すれば、識から名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死が次第に滅することを示された」
原文:また思惟す。何の法なきが故に取なしや。即ち正思惟を起こし、所取の法は無常生滅し、離欲滅尽して捨離し、心に顧念せず縛されざれば、愛は滅す。愛滅するが故に取滅す。取滅すれば有滅し、有滅すれば生滅し、生滅すれば老病死・憂悲悩苦滅す。かくの如く純大苦聚滅す。
釈:「五陰の無常を観じ、貪愛を離れることによって執取が滅し、三界の有が滅尽する過程を詳細に説かれた。意根の無明を断じることで業行が滅し、生死の連鎖が断たれることを明示された」
(二八七)世尊が順逆に十二因縁を参究されたこと
原文:爾時、世尊は諸比丘に告げたまわく。我は宿命を憶念するに、未だ正覚を成ぜし時、独り静かなる処にありて、専ら禅思に精進し、この念をなせり。何の法あるが故に老死ありや。即ち正思惟を起こし、生あるが故に老死あり。かくの如く有・取・愛・受・触・六入処・名色を観ず。
釈:「生が老死を生じる縁となる十二因縁の順観を説かれ、識を縁として名色が生じることを示された。阿頼耶識が生死流転の根源であることを明かされた」
原文:何の法あるが故に名色ありや。即ち正思惟を起こし、識あるが故に名色あり。我がこの思惟をなす時、識を斉(とど)めて還り、彼を過ぐること能わず。
釈:「名色の根源が阿頼耶識にあることを究明され、これ以上の推究が及ばないことを示された。十二因縁の流転は無明を縁とすることを説かれ、八聖道による滅苦の道を開示された」
原文:即ち識を縁として名色あり、名色を縁として六入処あり、六入処を縁として触あり、触を縁として受あり、受を縁として愛あり、愛を縁として取あり、取を縁として有あり、有を縁として生あり、生を縁として老病死・憂悲悩苦あり。かくの如く純大苦聚が集起す。
釈:「十二因縁の順観によって苦の集起を明らかにされ、無明滅すれば行滅し、次第に老病死が滅する逆観を説かれた」
原文:我は時にこの念をなす。古仙人の道を得たり。古仙人の径を行じ、古仙人の跡に従いて去る。譬えば人が曠野を遊行し、荒蕪を披きて路を求め、故道に遇えば、古人の行く処に随いて進み、漸く故城邑・古王宮殿を見るが如し。
釈:「古来の聖者が歩んだ八聖道を体得されたことを説かれ、涅槃の境地を故王宮殿に譬えられた。十二因縁の探究が苦滅への確かな道程であることを示された」
原文:今我はかくの如く、古仙人の道を得たり。謂わく八聖道、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定なり。我はこの道によって老病死の滅を観じ、生・有・取・愛・受・触・六入処・名色・識・行の滅を証し、かくの如く純大苦聚滅す。
釈:「八聖道による十二因縁の完全なる究明を説かれ、四衆弟子がこの法を聞き正しく信楽することを勧められた。仏説を聞いた比丘たちは歓喜して奉行した」