阿含経十二因縁釈
第七章 仏説老母経
原文:聞くこと是くの如し。一時仏は維耶羅国に在まし、所止処を楽音と名づく。時に八百比丘僧と、菩薩万人と倶なりき。
釈:阿難が説く:我は仏陀がこの経を説かれたことを自ら聴聞した。仏がかつて維耶羅国楽音の地におられた時、八百の比丘僧と一万の菩薩衆と共に法を説かれた。
比丘僧とは通常、仏陀に随って小乗の苦集滅道四聖諦を修学する常随衆を指す。四聖諦法を修めれば我見を断じ、人無我を証得し、三界の生死輪廻の苦より解脱し、五陰十八界の苦・空・無常・無我を悟る。五陰十八界が苦なるが故に、苦なるものは我にあらず、空なるが故に我にあらず、無常なるが故に我にあらず。我は苦ならず、我は空ならず、我は常住なり。五陰十八界には真実の常住不変なる我性無し、故に五陰十八界は我にあらず。
この理を認め、五陰を我と見做す誤った知見を除くことにより、五陰を我とする我見邪見を断じ、従前より自らを縛り生死を流転せしめた三縛結を断じて初果須陀洹を証得する。次いで貪瞋痴の煩悩薄くなり二果斯陀含を証し、初禅定を修めた後、欲界の貪欲心を断じ、更に瞋恚心を断じて三果阿那含を証す。更に修行を重ね、我慢を断じ尽くし、意根の自我への執着を滅し尽くし、一念無明四住地煩悩を断じ尽くして四果阿羅漢を証得する。寿を捨つる時至れば、阿羅漢の意根は再び六識を生じて六塵に触れることなく、意根も亦如何なる心行も無く、六根六塵六識滅し尽き、色受想行識の五陰機能滅し尽きて無余涅槃に入り、再び三界に来たらず。これをもって生死を了脱し、三界を出離して解脱を得る。
菩薩には出家と在家の二種あり、主に布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若智慧の六波羅蜜及び一切の自利利他の菩薩行を修め、十信位・十住位・十行位・十回向位・十地位・等覚・妙覚の五十二階位を経て、三大阿僧祇劫の修行を以て仏道を円満成就する。
六波羅蜜の修行において、布施は財施・法施・無畏施を含む。持戒は小乗五戒と大乗菩薩戒を保つ。忍辱は主に自らの心性を調柔にし、一切の人事物に忍び、空に随順し、五蘊世間の諸法が空・無我なることを忍び、難を畏れず精進する。精進は布施に精進し無量の福徳を集め、持戒に精進し、忍辱に精進し、禅定に精進し、般若智慧を修めるに精進する。第五の禅定は未到地定或いは初禅定の定力を具え、此の定力を以て仏法を思惟参究し、大小乗の空理を観行して空果を証得する。最後の般若波羅蜜は般若の理、如来蔵の理を熏習し、明心見性の基礎を築く。これらが菩薩の六波羅蜜修行であり、満足すれば機縁到来して無生忍と無生法忍を証得する。
無生忍とは、五陰十八界に真実の出生無く、悉く如来蔵の生じる不実の法なるが故に空幻・虚仮なることを忍可し、一切法が無生・無行・無実・無所有なることを認める。小乗が初果より四果を証得し人無我を得ることも亦一種の無生忍なり。菩薩の無生忍は明心見性して如来蔵を証得し、その実相法が不生不滅・真実不虚なることを了知し、同時に万法が悉く如来蔵より生じ変現され、虚妄・生滅・不実・無我なることを悟る。これを無生忍と称す。
無生法忍の智慧は無生忍を遥かに超え、初地より妙覚菩薩の修証する智慧なり。地上の菩薩は如来蔵の生ずる三界世間一切法が悉く如来蔵より出で、一真法界中の法にして真如性なることを証得し、心智寂滅して不退転に堪え、無生法忍と名づく。菩薩の無生法忍の智慧は地を追うごとに増進し、仏地に至りて円満具足する。悟前には六波羅蜜を修め、悟後には内門に菩薩六波羅蜜を修め、条件を満たせば初地に入る。初地菩薩は六波羅蜜に加え、方便・願・力・智の四波羅蜜を修め、十波羅蜜を成就して十地菩薩の果位を証得する。これが菩薩の修める菩薩道なり。
原文:時に貧窮なる老母有り。仏所に来至り、頭面を地に着けて仏に礼し、白して言く「願わくは問う所有らんことを」。仏言く「善哉善哉、問うべし」。老母言く「人の生老病死は何所より来りて何所へ至るか。色痛痒思想行識は何所より来りて何所へ至るか。眼耳鼻舌身心は何所より来りて何所へ至るか。地水火風空は何所より来りて何所へ至るか」。
釈:この大法会に貧しき老母が世尊の前に来たり、頭面を地に着けて礼し、問う「生老病死は何処より来り、何処へ去るか。五蘊は何処より来り、何処へ去るか。六根は何処より来り、何処へ去るか。五大種子は何処より来り、何処へ去るか」。
老母の問いは生死の根本問題に及ぶ。これらは十二因縁法に関わり、衆生の生死輪廻を解く鍵なり。阿羅漢や辟支仏は四聖諦と十二因縁法を修め、一念無明を滅し我執を断じて無余涅槃に入る。しかし彼らも真の楽を得ず、ただ苦を離れるのみ。五陰身無くして苦楽を受けること無し。
五陰とは色身を指し、受は苦楽捨の感受、想は六塵の了別、行は身口意の行為、識は六識の分別なり。五大種子は如来蔵に蔵され、地は堅性、水は湿性、火は暖性、風は動性、空は虚空性を表す。これらは如来蔵より生じ、因縁和合して万物を成す。
原文:仏言く「人の生老病死は所従来ること無く、去るも亦所至ること無し。色痛想行識は所従来ること無く、去るも亦所至ること無し。眼耳鼻舌身心は所従来ること無く、去るも亦所至ること無し。地水火風空は所従来ること無く、去るも亦所至ること無し」。
釈:仏は小乗の空相より説く。万物は因縁生起にして本質空なり。生老病死も五蘊も六根も五大も、来処なく去処無し。例えば火は両木相鑽じて生じ、木尽きれば火滅ぶ。雨は雲より生じ、雲散じれば雨止む。これら皆因縁和合の幻影なり。
原文:仏言く「諸法は是の如し。譬えば両木相い鑽りて火を出す。火還って木を焼き、木尽きれば火便ち滅ぶ」。仏老母に問う「是の火本は何所より来るか。滅して何所へ至るか」。老母仏に報じて言く「因縁合会すれば便ち火を得、因縁離散すれば火即ち滅す」。
釈:火は因縁和合の所産なり。衆生の生死も亦因縁生起。老母は十二因縁の理を悟り、仏の教えに大歓喜す。
原文:仏言く「諸法は是の如し。因縁合会して乃ち成り、因縁離散すれば即ち滅す。諸法は亦所従来ること無く、去るも亦所至ること無し。眼の見る好色は即ち是れ意、意は即ち是れ色。是の二者倶に空にして所有無く、成滅も亦是の如し」。
釈:心色ともに空なり。鼓声の如く因縁生起し、本際清浄無所有。我人寿命も亦如し。
原文:譬えば画師、先ず板素を治め、後ち衆彩を調和し、便ち所作に在り。是の画は板素彩より出ずるに非ず、其の意に随いて為す所の悉く成る。生死も亦是の如し。各々異類、地獄・禽獣・餓鬼・天上・世間も亦爾り。是の慧を解する者は着かず、着すれば便有り。
釈:生死は画師の絵の如く幻影なり。智慧ある者は執着せず、執着すれば生死有り。
原文:老母仏の言を聞きて大歓喜し、即ち自ら説きて言く「天中天の恩に蒙り法眼を得たり。身は老羸と雖も、今安穏を得たり」。
釈:老母は法眼浄を得、三悪道の業を断じ心安らかなり。
原文:阿難衣服を正し、長跪して仏に白して言く「是の老母仏の言を聞きて即ち解く、何の因縁か智慧乃ち爾る」。仏言く「大徳巍巍、是を以ての故に即ち解く。是の老母は是れ我が前世菩薩意を発したる時の母なり」。阿難仏に白して言く「仏の前世の母、何の因縁か困苦貧窮是の如し」。
釈:阿難、老母の智慧の由縁を問う。仏は過去世の因縁を説く。
原文:仏言く「乃ち昔拘楼秦仏の時、我菩薩道を行じ、沙門とならんと欲す。母は恩愛を以ての故に、我が沙門となるを聴かず。我憂愁して一日食わず。是を以ての故に、前後世に生まれ五百世是の如き厄に遭う」。
釈:過去世に仏道を阻んだ業により、五百世貧窮の報いを受く。
原文:仏阿難に語りて言く「是の老母寿終われば、当に阿弥陀仏国に生まれ、諸仏を供養すべし。却って後六十八億劫を経て、当に仏と成るべし。字は扶波健、其の国名は化作とす。所有の被服飲食は忉利天の如く、其の国中の人民は皆一劫の寿を有つ」。
釈:老母は極楽往生後、六十八億劫を経て成仏す。その国土は忉利天の如く豊かで、人民の寿命一劫なり。
原文:仏此の経を説き已り、老母及び阿難等、菩薩比丘僧、諸天竜鬼神阿須倫、皆大歓喜し、前に頭面を地に着けて仏に礼し去りぬ。
釈:法会終了し、大衆歓喜礼拝す。