衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

阿含経十二因縁釈

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年09月16日 閲覧数: 2545

第二節  四十四種智と七十七種智

(三五六)四十四種智

原文:尔时。世尊告诸比丘。有四十四种智。谛听善思。当为汝说。何等为四十四种智。谓老死智。老死集智。老死灭智。老死灭道迹智。

解釈:世尊は諸比丘に告げられた:四十四種の智慧がある。あなたがたは諦聴してよく思惟せよ。今からあなたがたに説こう。四十四種の智慧とは何か。すなわち老死の智慧、老死集の智慧、老死滅の智慧、老死滅道跡の智慧である。

原文:如是生有。取爱受触。六入处名色识行智。行集智行灭智。行灭道迹智。是名四十四种智。

解釈:有をありのままに知る智慧、有の集をありのままに知る智慧、有の滅をありのままに知る智慧、有の滅道跡をありのままに知る智慧;取をありのままに知る智慧、取の集をありのままに知る智慧、取の滅をありのままに知る智慧、取の滅道跡をありのままに知る智慧;貪愛をありのままに知る智慧、貪愛の集をありのままに知る智慧、貪愛の滅をありのままに知る智慧、貪愛の滅道跡をありのままに知る智慧。

受をありのままに知る智慧、受の集をありのままに知る智慧、受の滅をありのままに知る智慧、受の滅道跡をありのままに知る智慧;触をありのままに知る智慧、触の集をありのままに知る智慧、触の滅をありのままに知る智慧、触の滅道跡をありのままに知る智慧;六入処をありのままに知る智慧、六入処の集をありのままに知る智慧、六入処の滅をありのままに知る智慧、六入処の滅道跡をありのままに知る智慧;

名色をありのままに知る智慧、名色の集をありのままに知る智慧、名色の滅をありのままに知る智慧、名色の滅道跡をありのままに知る智慧;六識をありのままに知る智慧、六識の集をありのままに知る智慧、六識の滅をありのままに知る智慧、六識の滅道跡をありのままに知る智慧;行をありのままに知る智慧、行の集をありのままに知る智慧、行の滅をありのままに知る智慧、行の滅道跡をありのままに知る智慧。以上が四十四種の知るべき智慧である。

これらの智慧はいずれも十二因縁の中の十一支の縁起を実証する智慧である。実証しようとするなら、甚深の禅定の中で、ありのままに、道理に従って観行 (vipaśyanā-caryā) と観照を行わなければならない。情思意解によってはならない。解いた道理には実際の作用がなく、煩悩心を降伏できず、まして煩悩心を断除することはできない。無明が俱在するかぎり、生死輪廻は止むことができない。因縁法の理解は難しいことではない。難しいのは定中の観行、定中の参究であり、一つ一つの支分の来龍去脈を参究し尽くし、每一つの支分がいずれも生死の結縛であり、いずれも苦であり空であり、いずれも我ではないと真に認識し明らかにすることである。それによって生死の鎖を断ち切り、結縛を開き、断除し、破壊して、自心は解脱と自由を得るのである。

(三五七)七十七種智

原文:尔时。世尊告诸比丘。有七十七种智。谛听善思。当为汝说。云何七十七种智。生缘老死智。非余生缘老死智。过去生缘老死智。非余过去生缘老死智。未来生缘老死智。非余未来生缘老死智。及法住智。无常有为。心所缘生。尽法。变易法。离欲法。灭法。断知智。

解釈:世尊は諸比丘に告げられた:七十七種の智がある。あなたがたは諦聴してよく思惟せよ。七十七種の智とは何か。第一の智は、世間に生の因縁が存在すれば、必ず老死があると知る智慧である;第二の智は、生が滅すれば老死は必ず滅すると知る智慧である;第三の智は、過去世において生があったがゆえに、必ず老死があったと知る智慧である;第四の智は、過去世の生が滅すれば、過去世の老死は必ず滅すると知る智慧である;

第五の智は、未来世において生があるがゆえに、必ず未来世の老死があると知る智慧である;第六の智は、未来世の生が滅すれば、未来世の老死は必ず滅すると知る智慧である;第七の智慧は、生縁老死の法住智を知ることであり、生は無常の有為法であり、七識心の所縁として生じた法であり、断じ尽くしうる法であり、絶えず変易する法であり、離れることのできる貪欲法であり、滅尽しうる法であると知ることである。法住智とはまた、いかに生を断除するかを知る智慧でもある。

原文:如是生。有取爱受。触六入处。名色识行。无明缘行智。非余无明缘行智。过去无明缘行智。非余过去无明缘行智。未来无明缘行智。非余未来无明缘行智。及法住智。无常有为。心所缘生。尽法。变易法。无欲法。灭法。断知智。是名七十七种智。佛说此经已。诸比丘闻佛所说。欢喜奉行。

解釈:生に対して七種の智があり、十二因縁法の中の有、取、愛、受、触、六入、名色、六識、意根の行および無明に対しても、いずれも同様の七種の智慧があり、合わせて七十七種の智となる。たとえば無明縁行について、第一の智は、無明があるがゆえに必ず行があると知る智慧である;第二の智は、無明が滅すれば行は必ず滅すると知る智慧である;第三の智は、過去世に無明が存在したがゆえに、必ず行があったと知る智慧である;

第四の智は、過去世の無明が滅すれば、行は必ず滅すると知る智慧である;第五の智は、未来世に無明があるがゆえに、必ず行があると知る智慧である;第六の智は、未来世の無明が滅すれば、未来世の行は必ず滅すると知る智慧である;第七の智は法住智であり、無明は無常の有為法であり、七識心の所縁として生じた法であり、断じ尽くしうる法であり、絶えず変易する法であり、欲望のない状態にしうる法であり、滅尽しうる法であると知ることである。無明法住智とはまた、いかに無明を滅尽するかを知る智慧でもある。

(三五八)順因縁は苦を増し、逆因縁は苦を減ず

原文:尔时。世尊告诸比丘。有增法减法。谛听。善思。当为汝说。云何增法。所谓此有故彼有。此起故彼起。谓缘无明行。缘行识。乃至纯大苦聚集。是名增法。

解釈:世尊は諸比丘たちに告げて言われた:増法と減法がある。あなたがたに説こう。あなたがたは諦聴し、よく思惟せよ。今からあなたがたに説こう。増法とは何か。増法とは、此有故彼有、此起故彼起を指す。この法が存在するがゆえに、彼法が生じ、彼法が増加する。すなわち無明に縁して行があり、行に縁して識があり、乃至生に縁して老死憂悲苦悩 (śoka-parideva-duḥkha-daurmanasyopāyāsa) 純大苦聚がある。これは十二因縁の順生死流転の縁起法であり、増法と称し、生死の苦を増加させる法である。

原文:云何减法。谓此无故彼无。此灭故彼灭。所谓无明灭则行灭。乃至纯大苦聚灭。是名减法。

解釈:減法とは何か。減法とは、此無故彼無、此滅故彼滅を指す。この法が消失してなくなれば、彼法もそれに伴って一緒に消失してなくなり、この法が滅すれば彼法もそれに従って滅する。すなわち無明が滅したので行もそれに伴って滅し、行が滅すれば六識もそれに伴って一緒に滅し、乃至生が滅すれば老死憂悲苦悩純大苦聚もそれに伴って滅尽無余となる。これは十二因縁の逆生死流の縁滅法であり、減法と称し、生死の苦を減ずる法である。

(三五九)攀縁識の住するところに未来の苦聚あり

原文:尔时。世尊告诸比丘。若思量。若妄想生。彼使攀缘识住。有攀缘识住故。有未来世生老病死忧悲恼苦。如是纯大苦聚集。若不思量。不妄想。无使攀缘识住。无攀缘识住故。于未来世生老病死忧悲恼苦灭。如是纯大苦聚灭。

解釈:世尊は諸比丘たちに告げて言われた:人がもし心に思量 (manasikāra/manana) と妄想を起こせば、六塵境界に攀縁する六識が生じて六塵境界の上に住することになる。六識が六塵境界の上に住するがゆえに、未来世の生老病死憂悲苦悩、純大苦の聚集があるのである。もし人がもはや思量と妄想をしなければ、六塵境界に攀縁する六識は生じず、六塵境界の上に住することもない。攀縁六塵の六識が住着しないがゆえに、未来世の生老病死憂悲苦悩純大苦聚は滅して現れなくなるのである。

ここで言う思量・妄想は、いずれも意根の思量と妄想性を指す。意根が諸法を思量し、諸法を妄想するとき、六識が生じて身口意行を造作し、意根の妄想を満足させ、意根の妄想を実現する。すると六識は妄想境界の上に住することになり、身口意行が現行し、業種が留存されるので、後世の名色が生じて生老病死憂悲苦悩を受けなければならなくなる。もし意根がもはや諸法を思量せず、いかなる妄想もなければ、六識は生じず、身口意行も現れず、業種の留存もなく、後世の生老病死憂悲苦悩もないのである。

ページトップへ戻る