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阿含経十二因縁釈

作者: 釋生如 カテゴリ: 二乗の解脱 更新時間: 2025年07月13日 閲覧数: 1604

第二節 四十四種の智と七十七種の智

(三五六)四十四種の智

原文:爾時、世尊諸比丘に告げたまわく。四十四種の智あり。諦聴して善く思惟せよ。当に汝らの為に説かん。何等をか四十四種の智と為す。老死智、老死集智、老死滅智、老死滅道跡智と謂う。

釈:世尊は諸比丘に告げられた。四十四種の智慧がある。汝らは注意深く聞き、よく思惟しなさい。今から説く。四十四種の智慧とは何か。老死を如実に了知(実証)する智慧、老死集を如実に了知する智慧、老死滅を如実に了知する智慧、老死滅道跡を如実に了知する智慧である。生を如実に了知する智慧、生集を如実に了知する智慧、生滅を如実に了知する智慧、生滅道跡を如実に了知する智慧である。

原文:かくの如く、有・取・愛・受・触・六入処・名色・識・行の智、行集智、行滅智、行滅道跡智。是れを四十四種の智と名づく。

釈:有を如実に了知する智慧、有集を如実に了知する智慧、有滅を如実に了知する智慧、有滅道跡を如実に了知する智慧。取を如実に了知する智慧、取集を如実に了知する智慧、取滅を如実に了知する智慧、取滅道跡を如実に了知する智慧。愛を如実に了知する智慧、愛集を如実に了知する智慧、愛滅を如実に了知する智慧、愛滅道跡を如実に了知する智慧。

受を如実に了知する智慧、受集を如実に了知する智慧、受滅を如実に了知する智慧、受滅道跡を如実に了知する智慧。触を如実に了知する智慧、触集を如実に了知する智慧、触滅を如実に了知する智慧、触滅道跡を如実に了知する智慧。六入処を如実に了知する智慧、六入処集を如実に了知する智慧、六入処滅を如実に了知する智慧、六入処滅道跡を如実に了知する智慧。

名色を如実に了知する智慧、名色集を如実に了知する智慧、名色滅を如実に了知する智慧、名色滅道跡を如実に了知する智慧。識を如実に了知する智慧、識集を如実に了知する智慧、識滅を如実に了知する智慧、識滅道跡を如実に了知する智慧。行を如実に了知する智慧、行集を如実に了知する智慧、行滅を如実に了知する智慧、行滅道跡を如実に了知する智慧。以上が四十四種の了知すべき智慧である。

これらの智慧は全て十二因縁における十一支の縁起を実証する智慧を指す。実証するには、深い禅定の中で如理に観行し観照しなければならない。情思意解(感情や思惟による解釈)ではいけない。理を解しても実際の役には立たず、煩悩心を降伏させることもできず、ましてや煩悩心を断じることもできない。無明が存在する限り、生死輪廻は止まらない。因縁法の理解は難しくないが、難しいのは定中の観行であり、定中の参究である。各支分の来歴を明らかに参究し、各支分が全て生死の結縛であり、苦であり空であり、我ではないことを本当に認識すれば、生死の連鎖を断ち、結縛を解き断ち滅ぼし、自心を解脱自在にすることができる。

(三五七)七十七種の智

原文:爾時、世尊諸比丘に告げたまわく。七十七種の智あり。諦聴して善く思惟せよ。当に汝らの為に説かん。云何をか七十七種の智と為す。生縁老死智、余の生縁老死智に非ざるもの。過去生縁老死智、余の過去生縁老死智に非ざるもの。未来生縁老死智、余の未来生縁老死智に非ざるもの。及び法住智。無常・有為・心所縁生・尽法・変易法・離欲法・滅法・断知智。

釈:世尊は諸比丘に告げられた。七十七種の智慧がある。汝らは注意深く聞きよく思惟しなさい。七十七種の智とは何か。第一の智は、世に生の因縁が存在すれば必ず老死があることを知る智慧。第二の智は、生が滅すれば老死も必ず滅することを知る智慧。第三の智は、過去世に生があった故に必ず老死があったことを知る智慧。第四の智は、過去世の生が滅した故に過去世の老死は必ず滅したことを知る智慧。

第五の智は、未来世に生がある故に必ず未来世の老死があることを知る智慧。第六の智は、未来世の生が滅すれば未来世の老死は必ず滅することを知る智慧。第七の智慧は、生縁老死の法住智であり、生が無常にして有為の法であり、七識心が所縁として生じる法であり、断尽すべき法であり、不断に変易する法であり、離れるべき貪欲の法であり、滅尽しうる法であることを知る。法住智はまた、如何にして生を断除するかを知る智慧でもある。

原文:かくの如く、生・有・取・愛・受・触・六入処・名色・識・行・無明縁行智、余の無明縁行智に非ざるもの。過去無明縁行智、余の過去無明縁行智に非ざるもの。未来無明縁行智、余の未来無明縁行智に非ざるもの。及び法住智。無常・有為・心所縁生・尽法・変易法・無欲法・滅法・断知智。是れを七十七種の智と名づく。仏この経を説きたまいし已り。諸比丘仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。

釈:生に対する七種の智があるように、十二因縁法中の有・取・愛・受・触・六入・名色・六識・意根の行・無明に対しても、それぞれ同じ七種の智慧がある。合わせて七十七種の智となる。例えば無明縁行について、第一の智は無明がある故に行が必ずあることを知る智慧。第二の智は無明が滅すれば行も必ず滅することを知る智慧。第三の智は過去世に無明が存在した故に行があったことを知る智慧。

第四の智は過去世の無明が滅した故に行が必ず滅したことを知る智慧。第五の智は未来世に無明がある故に行が必ずあることを知る智慧。第六の智は未来世の無明が滅すれば未来世の行も必ず滅することを知る智慧。第七の智は法住智であり、無明が無常にして有為の法であり、七識心が所縁として生じる法であり、断尽すべき法であり、不断に変易する法であり、無くすべき欲望の法であり、滅尽しうる法であることを知る。無明法住智はまた、如何にして無明を滅尽するかを知る智慧でもある。

(三五八)順因縁は苦を増し逆因縁は苦を減ず

原文:爾時、世尊諸比丘に告げたまわく。増法と减法とあり。諦聴せよ。善く思惟せよ。当に汝らの為に説かん。云何をか増法と為す。所謂、此れ有るが故に彼れ有り。此れ起こるが故に彼れ起こる。無明を縁として行あり。行を縁として識あり。乃至、純大苦聚の集を縁として生ずるを謂う。是れを増法と名づく。

釈:世尊は諸比丘たちに告げられた。増法と减法というものがある。説くからよく聞き、よく思惟しなさい。増法とは何か。増法とは、此れ有るが故に彼れ有り、此れ起こるが故に彼れ起こる、というものである。この法の存在がある故に、彼の法が生起し、彼の法が増える。つまり無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、乃至生を縁として老死憂悲苦悩の純大苦聚が生じる。これは十二因縁が生死流転に順じる縁起法であり、増法と呼ばれ、生死の苦を増す法である。

原文:云何をか减法と為す。此れ無ければ故に彼れ無し。此れ滅すれば故に彼れ滅す。所謂、無明滅すれば則ち行滅す。乃至、純大苦聚滅す。是れを减法と名づく。

釈:减法とは何か。减法とは、此れ無ければ故に彼れ無し、此れ滅すれば故に彼れ滅す、というものである。この法が消失して無くなれば、彼の法はそれに従って一緒に消失して無くなる。この法が滅すれば彼の法もまたそれに従って滅する。つまり無明が滅する故に行もそれに従って滅し、行が滅する故に識も一緒に滅し、乃至生が滅する故に老死憂悲苦悩の純大苦聚もまたそれに従って滅尽して残らない。これは十二因縁が生死の流れに逆らう縁滅法であり、减法と呼ばれ、生死の苦を減らす法である。

(三五九)攀縁識住は未来の苦聚あり

原文:爾時、世尊諸比丘に告げたまわく。若し思量し、若し妄想生ずれば、彼の使は識を攀縁して住せしむ。攀縁識住有るが故に、未来世の生老病死憂悲悩苦有り。かくの如く純大苦聚は集まる。若し思量せず、妄想せずんば、使無くして識を攀縁して住せしむること無し。攀縁識住無きが故に、未来世の生老病死憂悲悩苦は滅す。かくの如く純大苦聚は滅す。

釈:世尊は諸比丘たちに告げられた。もし心が思量し妄想を生ずれば、六塵境界を攀縁する六識を生起させ、六塵境界に住着させる。六識が六塵境界に住着する故に、未来世の生老病死憂悲苦悩、純大苦の聚集が生じる。もし人がもはや思量せず妄想しなければ、六塵境界を攀縁する六識は生起せず、六塵境界に住着することもない。六塵を攀縁する六識の住着がない故に、未来世の生老病死憂悲苦悩の純大苦聚は滅して現れない。

ここで言う思量妄想は、全て意根の思量と妄想性を指す。意根が諸法を思量し、諸法に妄想を抱く時、六識は生起して身口意の行を造作し、意根の妄想を満たし実現しようとする。そこで六識は妄想境界に住着し、身口意行が現行し、業種が残留する。それ故に後世の名色が生老病死憂悲苦悩を承受することになる。もし意根がもはや諸法を思量せず、何の妄想もなくなれば、六識は生起せず、身口意行も現れず、業種も残留しない。それ故に後世の生老病死憂悲苦悩は無くなる。

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